アイドル猫さんのサイトは十年以上も続けていて習慣になっているので書かないと落ち着かないというようなことが書いてあり、そのまま思い出をつむぐ場所として続けて行くようです。それで飼い主さんたちの心の安寧になるのであれば幸いだと思います。
私はその猫さんの写真集を過去に何冊か購入したりサイトを見るだけで特段の交流がありませんので心の中で手を合わせるくらいにしたいと思います。ただ、ちょびっと要望を伝えるならば、確か腎臓が悪かったと記憶しているので、その病気の経緯、どのような医療を施したか、どのような選択を飼い主がしたのかなどを公表してくれるとありがたいなぁと。
裏を返せば、私もこれまでの猫の闘病体験記を綴る「義務」あるいは「使命」があるのかもと改めて思いました。
がんばろう。
さて、前に紹介しました老猫との暮らし方の本2冊を今回、改めて読み返しました。まさに「その日」のために心を強くする準備です。
「猫とさいごの日まで幸せに暮らす本」(加藤由子:著、小泉さよ:絵)
1227 老猫と腎臓病(腎不全)11 老猫と暮らすための本をみつけました(その1)
「年老いた猫との暮らし方 飼い主たちの体験から」(ダン・ポインター:著、脇山真木:訳)
1229 老猫と腎臓病(腎不全)12 老猫と暮らすための本をみつけました(その2)
これまで準備といえば自分が猫より先に死んだ時のためのものでした。まずは公正証書遺言で猫を託す人を指定すること。(第1条で遺贈という形になりました。)
次に、その指定した人からの指示で、猫の性格、どんなごはんを食べるのかなどなど細かく記載した手帳を作っておくこと。こちらは特にごはんなどは最近しょっちゅう変わるので(薬を混ぜるねこ缶の好き嫌いが激しい・・・)、書き換えの連続です。
「よし、これで準備万端」というところにもってきて、猫に先立たれたという先のお話です。確かに順番としてはこっちが妥当。
しかも、そうなった場合はもう冷静でいられなくて目が溶けるんじゃないかと思うくらい、親が死んだときでさえそうならなかっただろうというくらい悲しんで葬儀どころじゃないだろうという己が姿が容易に想像できました。
これはやばい。手助けしてくれる友人がいたとしてもうまく伝えられないだろう。そう思いました。
であるならば、今のうち、冷静なうちに「その日」やること、心構えなどを記録しておけばいいんじゃないか。思い立ったが吉日です。さっそくやりました。
まずどこに書くか。これは先の「自分が死んだときに猫を託すための手帳」の一番最後のページにしました。最近はここに病院での血液検査の結果表も貼付してあり、よく見る手帳だからというのもあります。
次に何を書くか。これは過去に親の葬式を出したときの反省点を踏まえて考えました。もっとも、金を目当てに寄ってくるような親戚のことは考えなくていいので、メンタル面を中心にということですが。
現時点で書いたのは、こんな感じです。
- まず落ち着け。泣いてもいいが、泣く時間はあとで十二分にある。
- 思考力が落ちているから、判断・決断は慎重に。早まった判断はしないこと。
- どうしても重要な判断・決断をしなければならない場合、法的なものは○○先生(お世話になっている弁護士名)、それ以外については○○さん(頼れる友人)などに相談すること。
- まずするべきは、家でお別れをする準備。季節、状況に応じて「猫とさいごの日まで幸せに暮らす本」を参照して準備すること。
- 並行して葬儀社に連絡すること。(現時点で考えている葬儀社の電話番号などを記載)
- その際、いくらになるか改めて見積を取ること、契約書を交わすこと、無宗教でやることなどを伝えること。
- とやかく口をはさむ「外野」がいたら締め出すこと!(注:これは親の葬式の時に痛感したこと)
現時点ではこれくらいです。思いついたらまた書き加えたり、訂正したりしたいと思っています。
遺言書作成もそうですが、「縁起でもない!」と思わずにやっておかないとあとで後悔することになるなぁと思った次第です。
今回の件で改めて「猫とさいごの日まで幸せに暮らす本」を読むと、15歳過ぎたら「その日」が近いことを覚悟すること、特に腎不全になったら日々の暮らしを大切にしていかないと後悔するなぁと痛感しました。猫も自分もいつまでも生きるわけではありませんし、いつ「その日」が来るかは前もってわかりません。あわてず、そして少しでも悔いの残らないよう、今日を大事に生きる。これが今できること、やるべきことなんじゃないかなぁと思いました。
猫タワーで一緒に遊んだり、ひざを貸したりしています(重い・・・)
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