2020年2月22日土曜日

1318 老猫と腎臓病(腎不全)25 「その日」1

闘病約3年8ヶ月、2019年9月6日午後3時頃(推定)、猫(上の写真・右)が逝きました。
少し落ち着いたので状況などを(行きつ戻りつしますが)書いていきたいと思います。

前回のエントリを書いたのが、逝く前日でした(アップしたのは1ヶ月以上後ですが)。よもや翌日に逝くとは思わず、また、金曜日だったのでその日勤務したら週末だから一緒にいられると油断したのもありました。最期を看取ることができませんでした。

思えば、前日まではフラフラしても歩いてトイレに行ったりしていましたし、私が顔を見せると、寝ていても頭を上げて一声鳴いて挨拶もしてくれました。
ですが、その日に限って寝たままで鳴くこともありませんでした。この時点で気づけばよかったのですが。そうすれば休んで看取ることもできただろうにと後悔の念があります。

仕事に行っても、早退するという「ラストチャンス」はあったのです。

話は逸れますが、子供の頃、母親がテレビで見ていた洋画で、誰かの臨終に立ち会っている人たちが「干潮が近い」「そろそろか?」というような会話をしていて、干潮の時に人が亡くなるんだなぁと強く印象に残っていました。(真偽の程は分かりませんが。)

それで、猫が逝く数日前から(何となくそろそろだという予感はありました)自宅から一番近い場所の干潮の時間をチェックしていました。その日の前日までは午前0時頃だったと思います。それで安心して出かけたのですが、午後に職場に着いてしばらくしてから干潮の時間を見ると午後3時頃とありました。「あと1時間、まさかね・・・」と良いように解釈して早退せずに仕事をしてしまいました。

そして仕事を終えて帰路につきました。
9月に入ってからご飯を食べなくなったけど、好物のマグロは食べられたので毎日買っていました。その日も仕事が終わるといつもの店でマグロを買い、「マグロ買ってきたよ〜」と声をかけて部屋に入ると、ひと目で死後硬直が始まっているとわかる姿がそこにありました。

体が動かないためその場で失禁して気持ちが悪かったのでしょう。なんとか体を動かして移動したものの力尽きてしまったという感じで、片腕がおかしな形になっていました。その姿勢は直すことができたものの、目は閉じることができませんでした。でも、口はきりりと引き締まっていて、いつもの男前のままでした。(動物看護師さんの話によると、目を開けて逝く猫は多いそうです。)

泣きませんでした。いや、泣けなかったというか、「こんなことをしちゃおれん。まずは汚れた体をきれいにしないと。動物斎場にも連絡しないと」と、「泣いている場合ではない」という喪主モードになっていたのだと思います。そのせいで後でかなり引きずることになってしまいましたが。

少々書いているのがキツくなってきましたので、今日はこのあたりで。

今回記載した内容に関しての「後悔」は、
・起き上がれなくなったのに「まだ大丈夫」と油断して付いていてやれなかったこと。
・真偽の程は定かでなくても、干潮の時間を見た時に早退しなかったこと。
・しっかり泣かなかったこと。

さて、猫の日ですので、発掘した面白い写真を載せておきます。連続写真です。それにしてもやられっぱなしの猫でしたね〜。

今は写真やムービーを見ても悲しくなることはありません。むしろ楽しかったことを思い出してほこっとしています。
iPhoneの画面もそのままです。朝はこの写真に「おはよう」と挨拶しています。

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