2017年9月3日日曜日

1268 「夏休み」の終わりと「その次」の始まり

(久々に全員で窓辺でひなたぼっこの休日)
気がつけばすでに2017年9月。それも3日。8月に何も書いてないことに気づきました。こら。

当初は「夏休みの終わりに」というタイトルで8月31日か9月1日にアップしようと思って下書きをしていたのですが、ここのところの原因不明の体調不良で、「書く」ということにも体力を使うのだなぁと実感。

ということで、途中まではその下書きのまま、それ以降は直打ちでいこうかと思います。しばしおつきあいくださいませ。


★★★★★

小学生の頃、道産子の私は本州より短い夏休みが悲しかったのです。本州は8月31日までが夏休み。でも、北海道はお盆を過ぎて数日したら(年によって日にちがずれていた記憶があります)2学期が始まります。全国放送のテレビ番組は本州の夏休みと同期して進行しているので最後まで見られなかったり、子供ながらに悶々としたものがありました。
もっとも、その分、冬休みが長いのですが、インドア派の私にはあまりメリットがなかった気がします。テレビも冬休み進行みたいなのは無かった記憶があります。

中学生、高校生になったら気にならなくなりましたが、大人になったらなったで夏休み自体が思うように取れない!などということは小学生時分の私が想像だにしていなかったことでしょう(笑)。

でも、世界を見渡すと欧州などはおよそ1ヶ月も「バカンス」という夏休みを取り家族で出かけたりしていて、うらやましいというより「そんなに休んで仕事に支障が本当に出ないんだろうか?休暇先まで仕事が追いかけてこないの?」などと、新人社会人のころは他人事ながら心配するというそんな生活を送っておりました。

それでも9月の秋分の日と敬老の日(当時はまだハッピーマンデー法がありませんでした)の暦繰りとでもいいましょうか、何曜日にそれらが来て平日が何日あるからそこに年休を当てて・・・と、年によっては(無謀にも!)連続14日間の休みを取って「夏休み」の旅行に出かけたものでした。

そんなこんなで「夏休み」というのは、個人的にはいろんな思いが詰まっている特別な言葉なのです。

そしてそれからン十年経ったある年、私は仕事を辞めました。ここのところは過去ログに書いてあるのですが、どこでしたっけ?あとでリンク貼っておきます。

退職は6月30日付け。本当は年度末(翌年3月末)に辞めるつもりだったのですが、その頃、張りつめていた糸がふつりと切れるように仕事に対する意欲を無くしてしまいました。理由はいろいろありましたが、ともかくこれ以上続けるのは無理、周りにも迷惑をかけたくない、後進に道を譲ろう(地方勤務から札幌勤務に希望している人はたくさんいましたので)というのもありました。

そして、6月30日付けで退職したとき、「ひゃっほ〜い!」と、その日のカレンダーに書いてあったとおりの心情のほかに、

「さあ、人生の夏休みの始まりだ!!」

と、心の中で叫んだのは言うまでもありません。それだけ小学生のときに憧れた「本州のように長い夏休み」にこだわりがあったのでしょう。
そしてまさに小学生のように、「できなかったあれをやろう」「これもしよう」「最初はいいけどグダグダな生活になりそうだから計画を練ろう」とバーティカルのウィークリー手帳で曜日ごとの計画を練ったり。

まだ、猫が腎臓病を患う前でしたが長期旅行にはすぐ行くつもりはなく、2泊3日くらいの東京美術館巡りなどを計画、実行する程度でした。それでも、しばらくは「夏休み」のまま、つまり再就職はせずのんびり本を読んだり、猫を愛でてまったりできると思ってましたし、そうしてました。

でも、世の中、そう単純じゃありませんでした。それに「夏休み」と言えば「宿題」がデフォですね。私の場合は宿題を課す学校にも組織にも所属してませんからそれはありませんでしたが、課題というか難題が目の前に現れました。それも立て続けに。

まずは、住んでいるマンションの管理組合理事長が独断で管理会社を変更する臨時総会を開こうとしたり、その理事長時代にマンションの大規模修繕の監理会社(管理ではありません)を決定した入札に他の組合員から疑問が呈されたり、すったもんだの挙げ句、やっと大規模修繕に着手したら、建築当初の重大な欠陥が見つかって販売会社はもとより、住民間でも温度差や補償の多寡で揉めたり、なんとか仮住まいで工事を行うことが決定して猫たちと引っ越しをしてまた1年後に戻り、やれやれと思ったら猫が腎不全で毎日点滴をすることになり、それも落ち着いてやれやれと思ったら私がまた病気で入院し、体力・筋力を落とすもなんとか今ここ、という状況、って、ここまでで一文。

いやはや、「夏休み」という言葉は安易に使っちゃいけないなぁと冗談半分に思いましたね。

★★★★★

というわけで、下書きはここまで。
今現在は、知り合いから誘われて短時間の事務のお手伝いをしております。「パートのおばちゃん」状態おねーさん」です。はい。

これまで上記のように他人との接点はありましたが、ここ1年くらいは自発的に外に出ないと人と接しない、ひどいときは人と話さず1日が終わるという日もありました。そして少しずつ崩れていくルーチンタスク。これでは健全な「夏休み」とは言いがたいです。

そんなときに「仕事を手伝ってくれないか?」というお誘いは願ってもないことで、即答したのは言うまでもありません。猫の点滴をする時間もありますし、短時間というのは好条件でした。それに必ず外に出て人と接する。これがやはり大事なことなのだなぁと痛感している今日この頃。
まだ、以前働いていた時のような時間感覚を取り戻すのが大変ですが(組み直したタスクの順番がどうにもイマイチしっくり来てません)、24時間フリーな日々より充実しているような気がします。

たぶん「締め切り効果」でしょうか。
この時間帯は仕事に充てられるから睡眠時間を除いた時間帯で何をやるか?具体的、現実的に突きつけられた課題のおかげで日々の生活に充実感、達成感が感じられるようになりました。

さらに、時間があるとどうしても「いつでもできるし」と、やりたいことなのに逃げていたこともできるようになりました。

考えてみると「夏休み」って必ず終わるものなのですよね。当たり前ですが。そして次の学期がやってくる。社会人でもまた仕事が再開する。人生においても、長いスパンで見た時にその期間が「夏休み」であっても、必ず次の行動を取る時期が訪れるのだとわかりました。それが自発的なものか、ご縁で繋がった相手からもたらされるものか、など、どんなかたちでやってくるかは人それぞれ。

私の「夏休み」も終わりを告げたということなんだなぁと、8月31日と9月1日でいろいろ考えていくうちにそう感じました。あとはやってくる流れにゆったりまったり乗っかっていきたいと思います。

さて、多少、余談になりますが1エントリ起こすのも大仰かなぁと思い、以下に追加します。

今年(2017年)の春から冒頭に書いたように原因不明の体調不良のうえに激やせして筋肉の量も体力も戻らず、そのせいか気力も衰えるというトホホな状態で、大好きなカメラを持って撮影に行く力も無くしていました。

そんなときに、あるアーティスト(って、私のTwitter見たらバレるので隠さなくてもいいかな?・笑)のライブに行き、「デビュー5周年というマイルストーン」「後ろを振り返るのではなく前を向いていく地点、区切り」(うろ覚えで書いたところもあります)などのMC時の言葉から生きる勇気をもらいました。これだからライブっていいんですよね。

ふと、何かの本に「身体だけ治してもダメで、心と体を同時に治療しないと治らないのだ」と書いてあったことを思い出しました。病は気からとも言います。悪い妄想ばかりしていないで前に向かって生きるべしということを痛感しました。

またまた余談ですが、「(ライブで)元気と生きる勇気をもらいました」とツイートしたら、友人から「何かあったの?」と心配されてしまいました(滝汗)。彼女には直にあって話したいなぁと思ってます。
他にも、私のブログの更新で生存確認をしてくれてる別の友人がいて、あまりにも更新しないでいるとメールで「大丈夫?」と通信が届きます。

誰かと会って話すというのも大事だなぁ、「外」に出よう、と思った「夏休み」の終わりの日でした。


0 件のコメント:

コメントを投稿