2012年3月20日火曜日

137 【書感】「母を棄ててもいいですか?」(熊谷早智子著)に静かに震えた




以前、新刊ラジオで紹介されていた本で、とても気になっていた。だが、ここで触れていた内容から、少々怖くて手に取れないでいた。


やっと読んで見た。そして、たしかに「怖かった」。いや、壮絶というべきか。体の内側から何とも言えない震えが来る本だった。

「母と娘」

これは「母と息子」、あるいは「父と息子」「父と娘」とは、ある一定の条件下では一線を画す関係になるのだろうか?

この本を読んで感じたことは、「母性というものはすべての女性に必ず備わっているものではない」「自分の子供は無条件に,必ず愛せる」というものではないということ。
愛情を受けて育った女性が読んでもピンとこないどころか、「こんなの、あり得ない」と否定してしまうと思われる内容だ。

  • 自分のゆがんだモラルを押しつける母親。(モラル・ハラスメント。モラハラ)
  • 姉妹間で差別し、一方を極端に貶め、もう一方を溺愛する母親。(姉妹を差別することに理由はない。)
  • 子供ばかりか夫にまで暴力をふるう母親。(アル中などの原因も。)
  • 愛情の見返りを要求する母親。(ただし愛情を注いでいるわけではない。)

子供は、小さいうちは母親が唯一のよりどころである。母親に見捨てられたら生きてはいけないという本能から、子供は母親を盲信し、母親に従属する。

この本で取り上げられているような母親が押しつけてがましく言う「愛情をかけた」は、母親の都合の良いように過去の記憶をゆがめた産物であることが多いという。大層手をかけて育てたわけでもないのに、むしろ最低限の育児もしていないのに、「こんなに苦労して育てたのに」などと思い込み、それが事実だと母親本人が誤認している。加えて、愛情というものは見返りを求めて与えるものではないということに、子供自身も気づかないという不幸が重なる。

そうしているうちに子供は、「母親はいつも正しい」「自分が間違っているから、自分が素直じゃないから母親の愛情を受けられない」と勘違いし、自分を殺して相手(母親)に合わせる人間になっていく。
こうして成人した女性はよく「モラハラ」をする男に簡単にカモにされるという。母親から逃れたいばかりに結婚するが、その先に待っているのは、母親との関係の時のように「従属させられる」妻の座。

この本の事例は淡々と書かれている。筆者がそうしたのか、事例の人物がそう話したのかはわからない。
もし当事者が落ち着いて語っているとしたら、ここに何度も出てくる「母には早くいなくなってほしい」と言う言葉が何より恐ろしく感じたし、淡々とした言葉であるがゆえに痛切なものを感じた。いなくなってほしい、つまり、死んでほしいと言っているのだから。

だが、母親が死んでも解決しないと思うのだ。特に成人した、あるいは経済的に独立した後の人生は自分の責任だと思うから。母親との精神的な「縁」「絆」を自分でどう断ち切るか。これを自分で解決しないと、いつまでたっても母親の影は亡霊のようにつきまとう。たとえ母親が生きていたとしても死んだとしても。
その断ち切る道のりは、辛くて遠い。カウンセリングなどの外からの力も借りなければ、おそらくひとりでは困難だろう。だが、くじけなければ必ずゴールはある。

読後感は、「二度とページを開きたくないほど重たい本」だった。

余談になるが、やはり新刊ラジオで紹介された「「きれい」を引き寄せるCDつき美容瞑想」という本に、「親への恨みは、母親があなた(子供)をかわいがらなかったのではなく、あなたが面倒くさがりで母親から言われたことを素直にやらなかったから(生じたもの)」「姉は性格が良かったから親にかわいがられた、自分がかわいがられなかったのは素直じゃなかったからと考えよう」と書いてあった。

たぶん筆者はとても愛情に恵まれた家庭で過ごし、すべての母親は子供に愛情を注ぐと考えているのだろう。この記述以外はほぼ真っ当なことが書かれているが、この部分だけは「母を棄てていいですか?」に登場するような女性には当てはまるものではないと感じた。




【書感とは?】
もの書き写真堂の造語。
書評と言うにはおこがましいので、本を読んだ感想と実践してみたことなどを書いた記事のことを指す。
書評と感想の間くらい。「所感」にかけている。

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