2015年3月10日火曜日

1041 本屋で探検18〜「月のうた」(穂高明:著)


「不定期に本屋さんに行き、知らない作家の本を少なくとも1冊は買う」というルールに則って紹介する第18回目。
今回は、穂高明・著「月のうた」です。

この本も先日取り上げたフェアの1冊で、ポプラ社の「涙活」というフェアです。なんか良く分からないフェアのタイトルですが、食わず嫌いせず、エントリされたなかから1冊選んでみました。何度も書いていますが、フェアの趣旨や名称の是非は問わず、とりあえず手にとってみると良書に当たることがあります。

「月のうた」はまず2007年に刊行されてから2011年に文庫化され、今回の「涙活」フェア時に重版になっています。つまり、このフェアがなければ出合わなかった本だったかもしれません。

物語は4つの短編からなり、1話から4話を通して、回想シーンの挿入で多少の時間の戻りがありますが、中学3年だった民子が大学に入学するまでの時間軸に沿って話が進んでいきます。
前回紹介した「からまる」と同じく語り手が交代します。1話からそれぞれ民子、民子の父の若き後妻・宏子、民子の亡き母の高校時代からの親友・祥子、民子の父・亮太となります。
「からまる」のように登場人物があちこちで繋がっていく物語というより、語り手を変えることで主にこの4人について光の当てる方向を変え、それぞれを立体的に浮かび上がらせる感じです。

例えば父親の若き後妻・宏子は家事が得意ではなく、一般常識も義理の娘の民子より劣るお馬鹿な女のように見えるのですが(それに後妻という言葉が持つ読者のイメージから来る思い込みも含め)、彼女の視点で書かれた話からは大ざっぱな性格だけど憎めない人物であることがわかるといった具合です。それでも教養の無さやがさつな性格が露呈しているんですが、この宏子は全体的にしんみりした話を賑やかにかき回すという立ち位置で、物語のキーパーソンとなっています。

それでも主人公はやはり民子で、最初の1話目(時間的には中学3年の冬休み前まで)だけでも完結した物語、つまりこれだけで読むのをおしまいにしてもひとつの物語が成立しているように感じました。当方がグッと来たシーンも1話に集中していますし。

国語の授業の課題で亡き母に宛てた手紙を書くのですが、これがお涙頂戴ではなく示唆に富んだ内容でじーんときました。それよりも第1話の最後のシーンもグッとくるモノがありました。これは当方が民子や幼なじみの陽一(民子の母の親友・祥子の息子)と同じように天文小僧だったからというのもあるかもしれませんが。

その場面とは、陽一と一緒に彼の家で勉強した民子が帰宅する際、陽一があることをするように民子に言うところから始まります。民子は最近勉強の時だけメガネを掛け始め、日常生活では外していることが多いという設定です。

「じゃあ、眼鏡掛けてから部屋の窓開けてみな。ちょっと衝撃的なことを味わえるから」
「何なの?」
「やればわかる」
「何?」
「いいから」
「良くない、だから何なの?」
「いいからやってみなよ」
(かなり中略)
窓を開ける。首を覗かせた途端「うわあ」と私は声を出してしまった。出さずにはいられなかったのだ。星だった。裸眼で見るいつもの夜空とは比較にならないほど極上の星空が、レンズ越しの私の瞳に飛び込んできた。
輪郭を強めたいくつもの星が、透き通った冬の大気に震えている。陽一が衝撃的という言葉を使ったのは正しい。今まで私はいったい何を見てきたのだろう。そう問わずにはいられない星の数だった。いつからなのか、それを自分が見えていないことにすら気付かないままだった。(後略)

民子の「今まで私はいったい何を見てきたのだろう」という言葉には、単なる「星を見ていなかった」というだけではない暗示があるように思います。

もちろんすべてのストーリーを読むことで、民子が東京の大学に合格して明日出発するというところまでの成長物語としても完結しますし、先に述べたように他の人の視点での物語にもなります。
ところが、逆にここまで書かれると民子の大学生活はどんな風なんだろう?同じく上京する陽一との関係は?義母や腹違いの弟との関わりは物理的に離れてどうなるんだろう?など興味が尽きませんが、その前で終わっています。

民子の旅立ちのシーンで読者に清涼感を与えつつ、その後をいろいろ連想させて終わるという構成はなかなかオツでありました。
このエントリを書いている時期(3月)も、ちょうどそんなシーズンが近いですしね。

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