2013年2月18日月曜日

0400 究極の片付け術とは

年月を問わず、季節を問わず、片付けエントリは不滅です。それだけ多くの人が片付かなくて困っているということですね。

かく言うもの書き写真堂も、子供の頃はモラ母から「片付けの下手な子供」の称号をもらったほど、服やら本やらいろんなものが部屋にとっ散らかっていました。

過去のエントリで、
  • モノに定位置を与える。
  • 使ったらすぐ片付ける。
  • 部屋を移動するときは、移動先に収納すべきものが手元にあったら持って行く。
  • 戻ってくる時はその逆を実行する。
ということを書きました。(記事は、こちらと、こちらです。)
これでほぼ片付いたのですが、それ以降、モノはあまり減りませんでした。収納されていればそれなりに片付いているし、収納場所も余裕があったから、これ以上減らすこともないだろうという結論になったわけです。

もちろん増やすことも極力避けました。油断していると、余裕ができた収納空間にモノが入り込んでしまうからです。
確かにこれで不自由もしていないし、見た目もすっきりしています。
だが、昨年から今年にかけて体験したことが、さらに所有物のスリム化へと進めることにりました。

余命を宣告されるような事態(要するにがんですな)になった時、「ああ、こんなにモノがあってもしょうがないなぁ。死んだら持って行けないし」という気持ちになりまして。
それまで大事にしていたもの、例えば好きな声優さんのドラマCDや、昔仕事で使っていたカメラ、親の遺品のカメラ、お気に入りのマグカップ、などなど。これらが持つ「しがらみ」から解放されたというのでしょうか、解脱したような感じ。モノに執着しなくなったのです。
もっとも、以前に思いっきり片付けたときにも執着とは縁を切ったつもりだったのですが、「これだけは大事」と思うモノがまだあったということです。

だが、今回の入院や遺言書作成を通して解ったことですが、「ホントに大事なものは記憶あるいは記録として残しておくだけで十分」ということでした。何かのCMじゃないけど、「モノより思い出」なのです。思い出、つまり記憶。これさえあれば十分だと思い至りました。現物がなくても大丈夫。ならば記録(写真データなど)で取っておくのも手段でしょう。でも、これも度を過ぎれば外付けHDDなどのモノが増えるので要注意ですが。(クラウドストレージを使えばそれも解決かも。)

そんなわけで、さらにスカスカになったクローゼットや本棚、CDラック、物置などなど。
まだまだ減らせそうですが、過ぎたるは及ばざるがごとし。ゆっくりやっていこうと思います。

ちなみに、モノをデータで残すきっかけになったのが「ライフログのすすめ」という本でした。この著者がお気に入りのマグカップやら絵やら、果てはピンバッジまで写真撮影やスキャナーでデータ化したというくだり。



最初は所有物のカタログを作るつもりでやってみたのですが、そのうち「あれ?これ、モノとして取っておく必要がある?」という結論になり、ずいぶん現品を処分しました。このとき、データとして残しておくだけで満足であるという自分の気持ちに気づいたのです。これは意外でした。
それ以来、モノを買うときは、
  • 現物を手元に置いておくだけの価値はあるか?
  • 単に所有欲だけではないのか?
  • カタログ写真があれば十分ではないのか?
  • それを日常で頻繁に使うか?
などの自問をしてから決断しています。

いずれにしても、ストイックになったり、躍起になってやっているわけではありません。むしろ「何か処分できるものがないかなー」と楽しんでやっています。
ちなみに、自分のアルバムは作業するのが面倒なのでデータ化も処分もせずそのまま放置。塩かけて焼いてください、と遺言書に書いておこうと考えています。

ということで、究極の片付け術って、もしかしたら「遺品整理の前倒し」、つまり遺品になりそうなものを自分の手で、生きているうちに片付けることなのかも?

(追記)
なぜか片付け関係のエントリに「断捨離」の広告が時折表示されるのだけど、もの書き写真堂は根がアバウトなので断捨離のスタンスが合わずに、やってません〜。
参考書はこちらです。楽しんで片付けてます。楽しむこともコツなのかも。





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