2015年8月12日水曜日

1156 本屋で探検39〜「ユリゴコロ」(沼田まほかる:著)

「不定期に本屋さんに行き、知らない作家の本を少なくとも1冊は買う」というルールに則って紹介する第39回目。
今回は、沼田まほかる・著「ユリゴコロ」です。

昼食前に数ページ読もうと手にした途端、一気に読んでしまいました。4時間。昼食が(笑)。

さて、タイトルの「ユリゴコロ」ですが、ユリな少女の心ではありません。それは書店で見た時に当方もちょっとだけ想像しましたが、全く違いました。

物語は、主人公の亮介の一人称語りで、7月の雨の日に実家の父親に会いに行く場面で始まります。その道中、この半年で次々と家族を襲った不幸が語られていきます。

まず、前年の12月に亮介が経営する会員制ドッグカフェ「シャギーヘッド」を手伝う恋人の千絵を両親と弟に紹介したのに、翌2月には千絵が謎の失踪をし、間を置かずに父が末期のすい臓がんで手の施しようもなく本人も治療せずに最期を迎える覚悟であること、兄弟が父の死を覚悟したところに2ヶ月前に母が交通事故で先に亡くなったことが語られます。

亮介が実家に着くと父の姿はなく、引き寄せられるように行った父の書斎の押し入れの襖を開けると、古い段ボール箱がひとつだけ開けられていることに気づきます。
抗えない力に導かれるようにその中を物色すると、既視感のあるハンドバッグとその中にあった「美紗子」と母の名前が書かれた紙に包まれた遺髪とおぼしきもの、そしてハンドバッグの下からは茶封筒に入れられた表紙の違う4冊のノートが出てきます。そこには「ユリゴコロ」と題し、数々の殺人の告白が書かれていました。

いったい誰が書いたのか?殺人は本当にあったのか?いや、父か母の創作文かもしれない。それに母・美紗子は2ヶ月前に死亡しているが、この遺髪は相当以前に切られたもののようであり、生前のそんなに早くに用意するのも不自然だ。

そう思いを巡らす亮介は急に子供の頃に感じた違和感を思い出します。それは肺炎で入院していた4歳の頃、退院して家に帰ると母親が入れ替わったような気がしたことでした。
ですが、周りの大人(父、母、祖父母)は、亮介が長期入院していたこと、入院中に住んでいたアパートがぼやで焼けたため東京から奈良県下に引っ越したせいだと笑って取り合ってくれませんでした。

それが「ユリゴコロ」というタイトルの付いた殺人の告白手記を読んだことで思い起こされ、さらにその手記の書き手が入れ替わる前の母親か、もしくは先日交通事故で死んだ母親が本当の母を殺して入れ替わったのかもしれないと混乱する亮介。しかし、このノートを隠していたであろう父親に直接聞くわけにもいかない。
そうこうするうちに父親が帰宅する音が聞こえて、残りは後日、弟・洋平の助けを得て3冊目までを読み切り、一家の戸籍・除籍謄本を調べていくうちに手記の書き手が誰であるのか、亮介自身の出生の秘密などが明らかになっていきます。

物語は亮介が日常の生活をしながら手記を読むような形で告白文が綴られていきます。その間にも、カフェの中年女性の店員・細谷が千絵の行方を探してくれ、千絵が実は既婚者であること、その夫が事業に失敗して暴力団と関わり、金銭関係で暴力団から脅されるなか千絵を陵辱的な仕事に就かせるなどしていたことが判明します。

すべての真実が書かれているだろう4冊目のノートは亮介の父が隠してしまい、亮介は直接父に見せて欲しいと頼みます。そしてその場で読んだ亮介に、父はその後の話を語ります。
後日、父は亮介と洋平を自宅に呼び、衝撃的な事実を打ち明けます。

さて、長々とあらすじを書き出しましたが、「ユリゴコロ」とは何なのか?
手記の書き手は、子供の頃に通院していた医者が「この子には〜の拠りどころが無い」と言ったときの「よりどころ」を「ユリゴコロ」と聞き間違え、それが普通の人にはあって自分にはないもの、それを「ユリゴコロ」という造語で呼ぶことにしたとあります。

そのユリゴコロとは、物心が着いた時から感じていた嫌な感じを消し去るもののことで、最初は金髪のミルク飲み人形でした。
ちなみに、その嫌な感じの”触感”の描写が秀逸でした。

今振り返ってみてわかるのですが、私は物心ついたときからずっと、独特のいやな感じのなかにいました。うまく説明できません。サンドペーパーを舐めているような、痒くてしかたのないセーターを素肌に来ているような・・・・・。ともかく、まわりのもの全部が、正体不明の敵意を含んでチリチリギラギラしている感じです。

なんともリアルに伝わってくる描写にちくちくしたセーターを連想して皮膚がかゆくなりました。
他にも作者は触覚の描写に優れているなぁと思う点が多々ありました。雨に濡れたシャツが肌にまとわりつく感触。流れ出す大量の血液のどろっとした感触。衣類にたくさんくっついたヌスビトハギの種をはがす描写ではセーターやフラノのシャツの手触りや種のとげとげちくちくした感触が伝わってきました。

さて、「ユリゴコロ」は人形ののち、カタツムリやミミズなどを古井戸の小穴から闇に向かって投げ入れる行為に変わります。
小学校低学年の頃、同級生の家にあった古井戸に呼ばれるように引き寄せられ、その蓋に開いた穴からのぞいた闇に魅入られ、その死を連想させるような深淵に自分が飲み込まれる代わりに昆虫などを投げ入れて安心感を得ます。
見つけた生き物を落とせば落とすほど、私はやみつきになるというか、その行為の不思議な歓びのとりこになっていったのです。
穴に落とせば虫けらたちの命はなくなるのだとわかっていながら、なんだかカタツムリもミミズも、もともとの居場所に還してやっているような優しい気持ちが湧きました。(中略)
するべきことをしているという安らぎがありました。たくさんの命を送ればそれだけ、安全な均衡が保たれるのです。
アメリカのドラマ「クリミナル・マインド」や「CSIシリーズ」に出てくるシリアルキラーの心理のようだと思いました。余談ですが「クリミナル・マインド FBI行動分析課」で、殺人者は子供の頃の昆虫殺しから始まり成長するにつれ猫などの小動物を殺し、その衝動が抑えきれずに殺人に至るというようなセリフがあったと記憶しています。
この小説の作者・沼田氏もそういう心理を踏まえて書いているのかも、と読書中にぼんやり思いました。

この後、手記の語り手は、同級生のミチルちゃんが不慮の事故で池で水死する一部始終を見て高揚感を覚えます。
ミチルちゃんがこと切れるまでの短い間、私のまわりにいつもある、あのいやな感じがすっと鎮まって、庭じゅうの樹も石も、空も、その向こうに広がる世界も、清潔な感じに輝いていました。これが世界のほんとうの姿だという、不思議な直感がありました。ほんとうの世界の真ん中に、自分がちゃんと立っているのが奇跡のように思えました。
池の水が揺れている間だけそれが続いたのでした。
この死の感触が「ユリゴコロ」になり、次の「ユリゴコロ」を求めていった様子が手記に記されていました。それらは事故であったり、自殺幇助であったりするのですが、何の脈絡もなく2人の男を殺したところで「ユリゴコロとはなんの関係もないところで、自分に殺し癖がついてしまったようなのがとてもいや」になった頃、手記の語り手が他人に対して初めて二人称の「アナタ」と呼びかける男と出会います。手記を読んでいる亮介は「アナタ」が自分の父親だと直感するのですが・・・。

その後、千絵の夫との血なまぐさい決着や衝撃的なラストが待ち受けており、予想だにしなかった結末の最終ページを読了したのち、大きく息を吐いてからすっかり忘れていた昼ご飯を食べました。

でも、ほんのちょっとネタバレですが、殺伐とした物語ではなく、しんみりした中にもそれぞれが幸せになる予感を感じさせるラストでした。
最後にあの二人はどこに行ったのでしょうか?たぶんそれは作者にも分からないんじゃないのかなぁと思わせるようなシーンだと感じました。
とにかく描写が秀逸なのです。1本の道を信号で止まることなく、いや信号すらない森の中の道を一気に駆け抜けるような、流れるように進行する物語でした。

この物語も強くオススメですが、できれば4,5時間予定を空けて読み始めることもオススメします。一気読み必至。

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