2015年5月7日木曜日

1102 本屋で探検26〜「「けち」のすすめ」(ひろさちや:著)

「不定期に本屋さんに行き、知らない作家の本を少なくとも1冊は買う」というルールに則って紹介する第26回目。
今回は、ひろさちや・著「「けち」のすすめ」です。

分類としては自己啓発・教養になるのでしょうか。著者は宗教評論家だそうですが、あまり宗教色は感じなかったです。
タイトルにある、ネガティブ要素満載の「けち」をすすめられることに引っかかりを感じ、書店で手にとってから2度、棚に戻しました。


それでも読もうと思ったのは、我がモラ母が生前病床で、この著者の般若心経解説本(現在は絶版となっているものです)を読んでいたからでした。その著者が「けち」をわざわざすすめるのだから何かあるのかもしれない。そう思って書店のレジに向かいました。

まずは著者が考える「けち」についてです。
「あいつはけちだ」とか「けちけちして肝の小さなやつだ」とか、ほとんどの場合、「けち」という言葉は、人間の価値を中傷する場合に使われます。だからこそ人は「けち」と言われないよう見栄を張ります。
(中略)
つまり、「人から悪く思われたくない」とか「陰口を叩かれたくない」と思うこと、これが、けちを嫌う心理であり、見栄を張る原理なのです。(「序章」より)
このあと著者は「少欲知足」という仏教の教えを引用し、この欲を少なくして足るを知ることという言葉が著者の言う「けち」の由来だと言います。
さらに、文庫本のあとがきにはこう描かれています。
また仏教には、「少欲知足」といった言葉があります。これは、あなたの欲望をほんのちょっと少なくしてごらん。そして、足るを知る心、すなわち、わたしはこれで十分ですと満足する心を持ってごらん。そうすると心が安楽になるよ、といった教えです。
(中略)
この「ほんのちょっと」がいいのです。この「ほんのちょっと」が仏教精神です。あなたの悩みを、ほんのちょっとだけ減らす。悲しみをほんのちょっとだけ少なくする。苦しみをほんのちょっと減らして苦しむ。それが仏教の教えです。あなたのまちがいは、これまであなたが、悩みを全部なくして悩まないようになりたい、苦しみを全部なくしたい、悲しみをすべてなくしたい、と思ってきたことにあります。また、欲望をすべてなくして無欲になろうと思った。それがまちがいです。そんなふうに「すべて」をなくそうとすることは、絶対に不可能です。
そしてわたしは、この「ほんのちょっと精神」を「けち」と名づけました。
つまり、けちけちとお金を節約して貯めるとか、部下と飲みに行ってもきっちり割り勘にするとかいった「けちくさい」話ではないと言います。この「けちの哲学」を踏まえて、現代人が抱える不安や悩みの対処法、この経済情勢のなかどう生きるかなどが語られていきます。

この本は2009年3月に単行本で刊行され、2015年3月に文庫化されたのですが、ほとんど加筆修正されなかったそうです。たしかに経済情勢の部分は今でもしっくりはまっていると感じました。そう考えると逆にいろいろ空恐ろしいなぁとも思うのですが、それはまた別の話ですね。

さて、第1章では、不安は見えない欲望の裏返しと言っています。
生活がそこそこ安定した人たちが「漠然とした不安がある」と口にするのは、「未来を先取りしようと考えているからだ」と著者は言います。

将来何が起こるかわからないから、その未来について知りたいという欲望を持っている。でも未来はわからないから不安になる。これが「不安は欲望の裏返し」というゆえんなのだそうです。
ひっくり返して言うと、欲望を持てば必ずそこに不安が生じるということ。これをしっかりと認識していかなければいけないと著者は言います。

だからといって「無欲になれ」というのは人間にとってはムリな話なので、足るを知って欲を少なくしましょう、つまり抱える不安を少なくしましょうというのが先に出てきた「少欲知足」の考え方なんだそうです。

また、今の不安をなくそうという発想自体がおかしな考えだという著者。
なくすより先に、なぜ不安になるのか、どうしたときに不安になるのかを考えれば対処法がみつかると、中国の逸話を引用して解説しています。
不安は欲望の裏返し、欲望を持てば不安になる。この観点からも対処法は見えてきそうですね。

それでも「今抱えている不安はどうすればいいのか?」と問う人もいます。そういう人には仏教の「即今(そっこん)・当処(とうしょ)・自己」という教えで答えているそうです。
これを平たく言うと「今の自分をそのままに生きよ」となるんだそうです。
つまり、不安を解消しようとせず、その不安を抱えたまま生きなさいということ。そのためには、不安と向き合い、それを上手に飼い慣らしていく術を持つことが大事です。
不安を抱えたままありのままに生きるというのもしんどそうですが、例えば「無病息災」をもじって「一病息災」という言葉があるのですが、これは無病よりも病気をしたほうが健康に注意するという意味なんだと教えてもらって納得したことがありますが、まさに病気=不安を抱えて生きるということですね。

他にも「人は人、うちはうち」という良い意味での「他人への無関心」や、なかには「友だちはいらない」などやや過激な発言もありますが、この本に限らず相容れない部分は飛ばして読んでもいいと思います。そこで読了もありです。グッときたところだけ取り入れる。それでいいのじゃないかと。

宗教色は濃くないと思いますが、気になる方は序章と文庫あとがきを先に読んでみてください。それで違和感がなければ大丈夫かと思います。
個人的には以前読んだ「不安のしずめ方」(加藤諦三・著)で腑に落ちなかった部分がこの本で合点がいきました。

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