2015年5月15日金曜日

1109 本屋で探検28〜「『どうして私ばっかり』と思ったとき読む本」(石原加受子:著)

「不定期に本屋さんに行き、知らない作家の本を少なくとも1冊は買う」というルールに則って紹介する第28回目。
今回は、石原加受子・著「『どうして私ばっかり』と思ったとき読む本」です。

先日紹介した「『けちのすすめの近くの棚にあった文庫本で、やはりタイトルが気になり手に取りました。「これまたすごいネガティブなタイトルだなぁ」と。もちろん小説ではなく、自己啓発に近い内容です。

タイトルを見ながら、「どうして私ばっかり」に続く言葉はなんだろう?と考えると、「(雑用を)やらされるんだろう?」「損するんだろう?」でした。
実際、ページを開くと「『いつも自分ばかり損しているをやめるための基本」など、「損する」という単語が小見出しにたくさん踊っていました。


「損する」と言っても、挙げられている事例には「何か買ってもらわないと損」といった損得勘定もありますが、こういう金銭的なものではなく、おおむね気持ち的なもの、どちらかというと「ついてない」「割に合わない」「貧乏くじを引く」という感覚に近いものです。

この本では、第1章・「どうして私ばっかりに」となってしまう本当の理由、第2章・「いつも自分ばかり損している」をやめるための基本、第3章・損する状況に自分を追い込む「罪悪感」の捨て方、第4章・私ばっかりがツライから抜け出せる「行動&会話術」、第5章・損している気分が「満足感」に変わるレッスン、の5つに分けて説明されています。

「私ばっかり損する」という人は「他者中心」になっているからだと著者は言います。
文字通り、自分の意識の目が相手に向いていて、相手のことに囚われ、相手の行動の一つ一つや、相手の言葉の一言一言が気になって、あなたの心を占めているのは相手のことばかりです。
もちろんあなたがどんなに相手を心の中で責めたとしても、どんなに腹立たしい気持ちを抱いていたとしても、相手にそれは届きません。むろん頭ではわかるのですが、あなたの感情が、そうしないではいられません。
あなたの意識が、他者や相手に囚われている状態です。
こんな状態のとき、あなたは自分のことが、「まったくお留守」になっていることに気づいているでしょうか?(P18)

いえ、気づきませんでした。
さらに、筆者は「では、あなたはそんな人に対してどうしたいの?」と尋ねられたらいっそう頭がまっ白になりませんか、と問います。
筆者は続けて、何か主張したら言い争いになる、損するより争いにならないことのほうが重要で、結果として「損する」ことを自ら選んでいるのだと解説します。
実は「損する、損する」という思考をしてしまうのは、その前に、損しているような”気分”になっている感情や感覚が、先にあります。
ところが、他者中心になっている人は、心の眼を他者に奪われているために相手の言動や、相手によって傷つく言動には敏感ですが、「自分の感情や感覚」に気づく感度が低くなっています。(中略)
他者中心になっていると、自分の感情や感覚に鈍感になっているため、つい我慢してしまいます。もちろん、自分では我慢していることに気づきません。(P36〜)

そんな「どうして私ばっかり」という負の感情で相手に接してると、相手も「なんでそんなふうに言われるかな」と感情的になってさらに負の感情が互いにエスカレート、という場面は一度は経験したことがあるかと思います。
もちろんあなたが、相手の人生にまで首を突っ込むことはできません。
けれども、「どうしてそれが起こるのか」というその理由や原因を知っていれば、「損する」という悩みも解決しやすくなります。
相手がどういう人物であれ、「損する」というのは、あなた自身の問題です。(P51)

それに気づけば初めて突破口が開けると第1章の終盤にあります。そして、その対処法が第2章以降で説明されます。
それは「他者中心」から「自分中心」になること。思考からスタートする「他者中心」から、自分の気持ち、感情を基準にする「自分中心」になることで「損する」ことをやめることができると筆者は言います。
ですが、「自分中心」というのは決して「自己チュー」というのではありません。
自分中心というのは、決して、「自分さえよければいいんだ」ということでも、「損することは、いっさい拒否すべきだ」というわけでもありません。
「私がそれをするのも自由。しないのも自由」なのです。
(中略)
自分中心の基本は、「私の自由。相手の自由」です。
「私と相手」の両方の”自由”を認めるためには、「お互いに、お互いが相手の自由を侵害しない」というのが大前提となります。
(中略)
自分中心の人が、「私がそれをするのも自由。しないのも自由」と言えるのは、「相手の選択の自由を奪わない。相手の領域を侵害しない」というふうに「個の自由の範囲」を明確に自覚しているからこそ、なのです。(P108〜)

頭で分かっていても「自分中心」に考え行動するには、少々エクササイズが必要のようです。
さて、まだまだ膝を打つ解説がたくさんあるのですが、長くなりましたので当方が一番気になっていた事例を紹介して終わりにしたいと思います。

それは「相手に聞かれて自動的に答えている、答えねばならないと思っていること」です。
第2章の事例で言いますと、出かける際に近所の人などから「どこに行くの?」と聞かれて、心の中では「なんでそんなこと聞くのよ?どこに行こうと勝手でしょ」と苛立っていてもつい「どこそこへ」と愛想笑いまで浮かべて答えてしまうパターン。
そこであなたは、すでに「従わなければならない」に囚われていることに気づいてほしいのです。
あなた自身も、自分で自分を縛っているのです。
もちろん、夫も姑も、近所の人も「妻は、嫁は、主婦は、こうあるべきだ」と思っているかもしれません。
けれども、相手が「こうあるべきだ」と要求していたとしても、あなたは自由であっていいのです。人がそうだからといって、あなた自身の心が自由であれば、それを受け入れる必要はないはずです。(P72)

ですので「どこ行くの?」と言われても、出かけること自体に罪悪感を覚えることもないし、その質問に答えなくてもいい、「ちょっと、そこまで」という便利な日本語もあるといいます。

この「ねばならない」に囚われていると、やりたくないことを無理にやったり、自分の気持ちをごまかしてやったりしてしまい、その自分をごまかす癖がついてしまうと、つい自動的に答えたり、口を滑らせて心にもないお愛想を言ってしまいます。
こういう「つい答えてしまう」人ほど自ら損する状況を引き寄せ、損した後で「またやってしまった」と自己嫌悪に陥ったり、「気がついて当たり前なのに」と自分を責めるのだそうです。まさに図星でした。

この原因になっているのは「ねばならない思考」の他に、「恐れ」があるからなのだそうです。
「断りたいと思ったけど、どう言っていいか分からない。争いになったらどうしよう。関係が悪くなったらどうしよう。自分のことを噂されたらどうしよう」という具合に恐れることから来ていると言います。
それで第1章の解説にあったように、「そうなるくらいなら、損したほうがマシ」となるわけですね。

じゃあ、具体的にどう行動すればいいのか、どう言えばいいのか。それが第4章で解説されています。
この「答えたくないのに、つい答えてしまう」の場合の事例が第4章の冒頭に書かれています。
最初はついうっかり答えてしまいそうですが、まずは「答えるのも自由、答えないのも自由」であることを認識し、「答えたくなかったら答えない」を行使する機会を積み上げていく必要があります。

でも、ついけんか腰になったり、とげとげした言い方になってしまいそうですが、そういう争いや互いに不快な思いをしないよう、かつ、自分の気持ちが伝わるような言い方があるのだと言います。

ここまで読んで、「これってアサーティブなんじゃないか?」とふと思いました。アサーティブという外来語に合致するうまい表現が日本語になかったのか、アサーティブというそのままで「翻訳」されることが多く、その内容もなかなかピンと来なかったのですが、この本でこれまで読んだアサーティブ関連本の内容が腑に落ちました。

そう思ったのは、「公共の場でマナー違反をしている人をみかけたら?」という第5章の部分でした(P227〜)。
マナー違反の人を見つけた時、注意するなら「相手のため」ではなく「自分のため」なんだそうです。自分の視点に立って「私が私のために」相手に言う。そうするとおのずと言い方が変わると言います。「(アンタは)うるさいわね!」じゃなく、「電車を降りてからにしてもらえますか?(と、私はお願いしたい)」という具合に。

その際、相手がたとえばごっつい人で恐怖を覚えたならば、その「怖い」と思ったことを認めること。そして黙ってその場を離れるのもありだと言います。「逃げたら負け」というのは勝ち負けの意識があるからで、自分中心の人は「その場を去るのは逃げるのではなく、危険を回避するため」なのだと認識します。
これと同じようなことがアサーティブ本にも書いてあり、根本のところで繋がったと思った次第です。でも、その本に書いていなかったのが以下の部分でした。この説明があったから納得がいったのだと思います。
どんな出来事も、「自分の問題とする」ことができれば、すべて自分を守るため、育てるためという捉え方ができます。
人に迷惑をかける相手に対して、自分の中の恐れを隠しながら心の中で眉をひそめていても、自分を傷つけるだけです。自分を守る能力やスキルが高くなるにつれて、そんな相手に対して、争いにもならず傷つけ合うこともなく解決できる能力がついてくるのではないでしょうか。(P233)

以上、自分がグッときた部分を紹介しましたが、本書は原因・理由を第1章、第2章で説明した後、その具体的解決策が第3章以降にまとめられているため、同じ事例が繰り返し取り上げられるというまだるっこさが気になりました。
第1章や第2章を読んで「じゃあ具体的にどうしたら?」というのがすぐ触れられず、後半の第3章以下にまとめられているのは、せっかちさんにはイライラするところではあります。

それでも、いままで読んだ本の中でも特に「なぜ自分が損する行動を取るのだろう?」という原因と対処法に納得がいきましたので、「どうして私ばっかり」と思ったことがある人、それをなんとかしたい人にはオススメです。

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