2015年7月14日火曜日

1140 週次レビューから15〜「記憶に頼るな、記録に頼れ」

「記憶に頼るな、記録に頼れ」

先日、レビューをしていてふと浮かんだ言葉がこれでした。
記憶がいかに心許ないかというのを痛感した出来事があったからでした。

家をリフォームしている現場を見に行った時、クローゼットの壁の一部が縦1メートル、横50センチくらいの巾ではがされていて、下からさらに壁紙が見えていました。過去に押し入れからクローゼットへ変更したときに工務店が壁の上から壁を貼ったようでした。理由は不明。

今回のリフォーム業者は「はじめからこうなっていた」と主張しました。
つまり1メートル×50センチの巾の長方形部分を切り取った形で上から壁を貼ってあったのだと強調する業者に、そんなことはないと思いつつも何度も「最初からこうだ」と繰り返す業者の言葉にだんだん「そうだったかも?いや、おかしい。けど、本当にそうか?」と自信がなくなってくる始末でした。

引っ越しが多かったせいで何かあったときのためにと入居時と退去時に写真を撮る癖を付けています。マンション購入後の内覧会、引き渡し時、リフォーム前後など、節目節目で撮影してきましたので、この壁の部分も撮影してあるはず。さっそくライブラリをひっくり返して見返すと、業者の言うように「最初から切り取ってあった」わけではありませんでした。きちんと1枚の壁になっていました。「最初から」というのは業者の嘘ということがわかりました。

確かだった記憶も、目の前の「業者」という建築の専門職に強調されるとあっさり変化するというのをまざまざと実感した体験でした。これ、場面によっては怖いですよね。
他にも、似たような行動をしていると、ある発言がいつのときになされたのか勘違いして覚えていることがあったりするなど、こういう記憶違いはわりと頻繁に起こっているのかもしれません。

起こっていてもささいなことだから気づかないだけで、日常茶飯事で起きていると思っていいかもしれません。それだけ人間の記憶はあいまいで、脳が勝手に都合のいいように書き換えるという話もうなずけますし、ましてや先に書いたように外部からも書き換え可能なわけです。

ささいなことでも記憶と違うということが続いたら、「私の記憶って信じて大丈夫なの?そもそも私の脳が大丈夫?」と思ってしまいます。
それゆえに小さなことでも記録しておくというのが重要になってくるのだなぁと実感するこの頃です。

これまで何度も書いていますが、TaskChuteというExcelベースの時間管理ツールもこまかいタスクまで記録可能ですが、そのタスクの詳細については書きませんから別のツールが必要になります。できればEvernoteなど検索が簡単にできるものがいいですね。

それに加えて、こまめに写真を撮っておくというのも、その時間、どこで何をしたかの判断の一助になりますし、日付や時間が記録されるツールを使うのも吉です。アナログではお店のレシートなども補助になりますので、Kitacaなどにチャージする時も領収書を取得しています。だいたいのレシートには時間も記録されていますから。

最近は頻繁に会議を行うので録音をしています。言質を取る(言った、言わないも解消)と言う意味でも大事ですが、「この発言、誰が言ったのだっけ?」ということならまだしも「これはあの人の発言」と記憶していたのが別人だったりしますので、やはり録音(記録)は必要だなと思いました。
しかし、それを聞き返すのは手間と時間が必要ですから、会議中は録音しながらメモをこまめに取ることは必須です。

個人的には、ほぼ日手帳のような1日1ページのダイアリーになっている手帳にその日あったことなど、特に印象に残っていることを書き付けるのも記憶に留める補助装置として活躍しています。これはTaskChuteやEvernoteと重複してもかまわないというルールで書いています。
手を動かすことで記憶に残る確率が上がるという経験則からそうしています。

また、意外と手帳の検索性というのは侮れないものがあります。「この辺のここいらに書いたような・・・」という勘が働いて見つけることが容易になっています。

いずれにしても「記憶」を過信しないのが吉、ということでしょうか。「思い込み」という伏兵もおりますから・・・。

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