2015年6月2日火曜日

1122 本屋で探検32〜「遠すぎた輝き、今ここを照らす光」(平山瑞穂:著)

「不定期に本屋さんに行き、知らない作家の本を少なくとも1冊は買う」というルールに則って紹介する第32回目。
今回は、平山瑞穂:著「遠すぎた輝き、今ここを照らす光」です。

もし、仕事先で中学時代の同級生と卒業以来の再会をしたら?
自分にせよ相手にせよ、黒歴史があったら引いてしまうような・・・。

物語は、中学3年の時の同級生同士、大手出版社勤務の小坂井夏輝(なつき)と石膏像造りの工房に勤める瀧光平が卒業後16年ぶりに仕事で再会します。夏輝は予期せぬ再会に心がたかぶり喜びますが、次の瞬間、事実はまったく正反対であることを思い出します。おそらく生涯二度と会いたくなかった人物。
それは光平も同じなのですが、とりあえずは淡々と取材をする立場、受ける立場で話が進んでいきます。

中学時代の夏輝は優等生。「自分とは違うという理由だけで人を嫌ってはいけない」という母親の教えを小さい頃から守り、わかり合えない人はいないという信念のもと、誰に対しても笑顔で接するタイプ。
一方の光平はまさに中二病真っ最中。どこかひねくれたところがあり、現代アートのうんちくを知ったかぶりで振りかざし、わざと人を寄せ付けずに孤高を気取っているタイプ。加えて夏輝のような優等生が疎ましい。

そんな中学時代を過ごした二人が出会ったら気まずいのなんのというのは痛いほど伝わってきます。
「いやいや、私だったら絶対会いたくない!こんなシチュエーションはフィクションでもご免被りたい」と思ったのですが、もしかしたら読者のなかにも同じ感覚の人は少なくないのでは・・・?

加えてこの二人、互いの悪印象を無意識下でも感じるほど現在まで引きずっているのです。
夏輝はよく見る悪夢でそれを感じていました。「またいい子ぶって」という悪意の視線を背後から感じるのですが、反論しようにも相手は意地悪く背後にしつこくつきまといながらも姿がみえないという夢で、これを見ると現実に必ず良くないことが起きるというおまけ付き。この悪意の視線の主が光平だということに再会して初めて気づきます。

光平は、街で見かける「ある女の顔」に心がざわつきイライラします。その理由が中学の時の夏輝の態度に由来しているため、夏輝に面影が似ている女性を見ると不快に感じたということが、光平もまた再会して認識します。

しかし、そこはすでに32歳の大人同士・・・と思いきや、夏輝が追加取材のお礼にと誘った席でふたりっきりになった時、つい中学の時の話を持ち出し、当時の気持ちのままお互いのネガティブな思いをぶつけあってしまいます。

この後、それぞれが中学時代から今までの生き方をなぞるように振り返り、互いに「謝ろう」という思いに至ります。夏輝は先日の食事の席で言い過ぎたことを、光平は中学3年の時の非礼を。
この部分の経緯は読み応えがありました。この小説のように特定の人間関係に絞らなくても、自分の中学時代からの人生を振り返ってみると意外となにか発見があるのかもしれないと思いました。

もうひとつ興味深かったのは、SNS(おもにFacebook)について夏輝と光平が口論する場面でした。
会話部分の一部を引用してみますと(P185~)、
「けっこう便利なんだよ、これ。みんなの動向とかもわかるし、一度疎遠になっちゃった人とまたつながったりできるし」(夏輝)
「さもありなんだな。昔から”みんな仲良く”が身上だったもんな。で、おたがいに今どこそこの店に来てこんなおいしいスイーツを食べてますとか写真つきで報告しあって、心にもない”いいね!”を贈りあったりしてるんだ」(光平) 
「みんなの動向っていうけど、知りたくない雑音まで勝手に流れ込んできてウザいとか思うことはないの?だれかと一度疎遠になったんなら、しょせんその程度の縁だったんだとは考えないわけ?そういうの、疲れない?」(光平)
「疲れないよ、別に。だって読みたくないものは流せばいいんだし、知られたくないことは書かなければそれで済む話でしょ?公開する範囲だって、グループとか設定すれば親しい人たちだけとかに限定できるし」(夏輝)
「(前略)だいたい、何をそう四六時中他人と”共有”してなきゃならないのか、そこからして俺には理解しがたいね。そんなにみんなと”つながって”たいのか?一人になるのがそんなに怖い?」(光平)

こう問われて思い当たる節がある夏輝が沈黙し自問する場面では(P187~)、

個別にメールや、まして手紙で連絡を取りあうだけの時間は、とても割けない。SNSなら、近況を告げる日記をひとつアップすれば、友達登録している全員の目に同時に触れる。相手の近況も日記を拾い読みすればわかるし、「いいね!」を贈るだけで、「あなたのことも忘れていないよ」というサインになる。
知り合いが多く、できればその全員と仲良くしたいと思っている私のようなタイプの人間には、まさにうってつけの仕組みではないかーーー。
しかしそう思っていたのは最初の二、三年だけで、最近ではこの仕組みに組み込まれていることをふと重荷に感じる瞬間も多くなっている。
見ず知らずの人間を「友達ではないですか?」と毎日のように押しつけられるのにも閉口するが、それはただ無視していればいいだけのことだ。問題は、上司や、仕事上あいそよくしているだけの相手などからの無邪気な友達申請が絶えず、しかもそれをむげには断れないことだ。
おかげで、「友達」全員に公開できる内容は日々狭まっていく。グループを設定することで情報をブロックしているつもりでも、思わぬ形でそれが望まぬ相手にリークしていることもある。

これが作者のSNS観のすべてではないとしても、なんとなく日頃思っている感想なのではないかなぁと感じました。
最後のほうで夏輝に「当たっている部分もあるけど、(光平の)あのフェイスブック観ははっきりいって偏見だと思う」(P336 )と言わせていますので、上記で引用した夏輝のモノローグが作者の感想に近いのでしょうか。

また、光平には「料理が並んだこのカウンターの様子を撮影してSNSにアップすることはできなくても、今、この場にいる夏輝と料理についての意見を交わし、これをうまいと思っているのは自分だけではないのだと知って満足する。そういう形でなら、この俺にもだれかとなにかを「共有」することは可能なのだ。そしてそれは、ないよりあった方がいいのだ」(P313)とも言わせていますので、ネットも便利でいいけれどリアルで目の前の人と語り合うのも大事だよ、というのが作者の言わんとしているところなのかもと思いました。

さらにもうひとつ思ったのが、「正論振りかざす女にイライラする男という構図、なんとなく分かるなぁ」ということでした。
また、夏輝の姉が言った「正しいことを口にすることが、いつでも正しいってわけじゃない」という言葉。
当方もいろいろ思い当たる節がありすぎて、夏輝のようにグサッときました。
余談ですがこんな記事をみかけまして、さらに「ああ!」と納得した次第です。

なぜ女は、正論ばかり主張したがるのか:PRESIDENT Online - プレジデント







それはさておき、光平はなぜそんなにイライラしていたのか、ひねくれた視線を向けていたのか、その理由を探るべく夏輝の肖像を描いて解き明かすことまでやっていました。
もう2回半くらいひねってるんだけどそれでも自分の本心はわかってなくて、ラストシーンで最後の半分ひねりを夏輝に加えてもらって3回転して初めて光平が納得したような感じがありました。最後の1文はこの物語を象徴してきれいに結んだ文章だと思います。

中学時代に黒っぽい思い出がある方、オススメです。



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