北海道の神田日勝記念美術館のシンボルマークにもなったこの絵は、半身の馬が描かれています。上半身がしっかり描き込まれ、下半身はうっすらと鉛筆らしきもので描かれたわずかな輪郭だけ。
このページの一番下に馬の絵があります。
この奇妙さゆえに、多くの人がその謎を解明しようとしたのではないでしょうか?
推理小説作家の内田康夫も、浅見光彦シリーズ「幸福の手紙」でこの絵を「半分の馬」という事件のカギを握るキーワードにしているくらいです。
確かに奇妙な絵ですね。
もの書き写真堂は、2010年秋に札幌芸術の森美術館でこの作品を鑑賞する機会がありました。
実際に観て直感で思ったことは、
- この画家はこういう描き方だった。
- 下絵をしっかり描いてからまんべんなく色を塗るというのはセオリーでも常識でもない。
- どんな描き順でもいいんだ。
つまり、謎でもなんでもなく、この画家にとっては当たり前な描き方だったんじゃなかろうか、ということを感じました。
他の作品はすべて色塗りがされ完成されたものですが、もしそれらを描いているムービーなんかが残っていたとしたら、この半身の馬のような描き方をしている画家の姿が映っていたかも。
馬の絵で言うと、頭の部分をしっかり完成させてから前足と胴体半分に移る、というような。だから、途中で亡くなったために残りの半身が描かれることなく「奇妙な」絵が残った。そんな仮説が浮かびました。
この画家は独学で油絵を始めたそうです。美術系の学校で習うような絵の描き方をしなかったので、絶筆となった未完の作品が世の中に出た時に「なんで残りの半身を描かなかったのか?」という大多数の人が思い浮かぶ「常識」的な謎が残った。画家本人にとってはこれが「常識」的な描き方だったとしたらおもしろいですが、記念館の作品解説にも書かれていないところをみますと、絵の描き方について画家本人に聞いた人は誰もいなかったようですね。
というようなことを今日つらつらと考えながら書いたのは、最近もの書き写真堂が描いている猫絵の途中経過を撮影したものをチェックしている際に「ひょっとして、あの馬の絵って実は?」とひらめいたからでした。
もの書き写真堂ももしここで死んだら、謎になってたかも?
でもまあ、あくまでも仮説です。それに「謎」のままにしておくほうが、それを推理するのも一興ですし、神秘的で印象に残りますね。
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