2014年6月12日木曜日

0841 「不安を手放す」ということ

「些細なことが気になって、不安で不安でしょうがなくなる。
しばらくするとそんな不安もウソのように消えるのだが、不安で悩んでいる当時は一大事のように感じてしまう。
ひどいときには不安が不安を呼び、妄想でストーリーを作成し、それがあたかも現実になるように感じてしまう」

程度の差はあれ、こんな経験をしたことはありませんか?

もの書き写真堂はこれまでいろんな解決法を試してみましたが、そこそこの結果は出るけれど「これは!」という効果があったものはありませんでした。
最近見つけた本を読んでみたところ、これまで取った解決策が根本的に間違っていたことに気づきました。

「不安」の手放し方(加藤諦三・著)


文庫版の出版は2012年ですが、当初は「思いこみの心理」というタイトルでずいぶん前に出版された本のようです。以前読んだカーネギーの「道は開ける」と同様、若いときに出合いたかったと思える本です。
でも、この時期だから意味があるのかもしれないと同時に、今であっても出合ったことに感謝ですね。
ちなみに、この本の何カ所かに「道は開ける」の引用がありました。

さて、「「不安」の手放し方」は5章からなるのですが、グッときたところに付箋をつけているうちに本自体がふくらむほどになってしまいました。そこで1章「不安な自分に気づいていますか?」と2章「人生の主導権は自分にある」から、もの書き写真堂なりに解釈した部分について書きだしていきたいと思います。


不安をはじめ不満、イライラなどを引き起こしたものは「結果」であり、大本の「原因」は自分が認めたくないと思っている感情なのだそうです
この自分が認めたくない感情というのが原因で完璧主義に陥ったり、とうてい実現できないほどの「理想の自分」を追い続けたり、「べき」思考に囚われてしまう。そのため、不安をひとつ解消したとしても原因となっている感情を根本的になくさない限り、不安は次々と現れるということになります。

「理想の自分」を作り上げたのは、神経症的な親が自らの神経症的なものを解消する手段として、子供にかくあるべしという姿を押しつけたことが原因。子供は親が要求する「自分」でいないと認められなかったり、愛されなかった。だから親の要求する「理想の自分」を追求し続けることになります。
子供はそうしないと生きていけないと本能的に悟りますし、そうしているうちに大人になってもその「癖」が抜けなくなります。

「理想の自分」の実現にエネルギーを注がなくてはいけないため、「ありのままの自分」は否定したい、無くしたい。これが自己蔑視や自己否定の始まりとなります。
自己否定、自己蔑視をしている人の中には、だいたいがそれから目を背けているか、なかったかのように無意識下に押し込めている人もいます。
そういえば高校時代の担任の先生に「なんでそんなに自己否定するんだ?」と言われて、「え?私、自己否定してますか?」と無自覚だった記憶があります。

それでも「自分が大好き」と公言する人に会うと、内心では「そんなことあり得ないと思う」と疑問に思っていたことからも、自己否定というか自己嫌悪していたんだろうなぁと今なら思います。そのことに向き合わなかったから不安がなくならなかった、そのことがこの本を読んでからまだ不完全ながらも理解できました。

また、「不安というのはものごとに対する考え方、とらえ方によって生じるもの」ともありました。だから同じ事象でも不安を感じない人もいるのだ、と。
その考え方、とらえ方を変えるには、自己否定、自己蔑視につながった過去を振り返り、それらをやめることなんだそうです。

その振り返りをやっていくと、だいたいが神経症的な親の存在に行き着くのだそうです。ほとんどずばりの回答でした。
もの書き写真堂の体験から言えることは、特にモラ母(モラルハラスメントをする母親)に育てられると自己否定の傾向は顕著だということです。親の好む面だけが受け入れられたため、ありのままの自分を自らも拒絶するという道をたどりますね。

過去を振り返り、否定された自分を見つめるというのはかなり苦しくつらい作業です。欠点であると思い込まされたものを認めなければならない。醜いと思っていて憎みさえしたありのままの自分を受け入れること。たとえそれが弱点だらけ、欠点だらけであると感じても、ありのままの自分を受け入れて初めて、不安につながる考え方、とらえ方を変えることができるのです。

ありのままの自分を認知できたら、次にその自分ができることをする。不可能なくらいレベルの高い「理想の自分」になろうと努力するのをやめることです。

さて、この本の読者層をまとめてみました。不安を払拭したい全ての人向けととはちょっと言いがたいかもしれません。逆に向いていない人というのは、それほど不安にまとわりつかれていない幸せな人とも言えます。
では、どういう読者層かというと、以下のようなタイプだと思います。
  • 神経症的な人
  • コップに半分の水「しか無い」と感じる人
  • 完璧主義な人
  • 「べき」思考の強い人
  • 八方美人的な人、他人に迎合しやすい人
  • 抑うつ状態な人
  • 自己否定・自己蔑視をしている人
  • モラ母に育てられた人(特に娘)

「ちょっと当てはまるかも?」「完璧主義と言われたことがある」と思い当たる節があり、「どうも不安がわいては消えることを繰り返す」ということを止めたいと考えているならば、この本は一読の価値があると思います。
ただし、何度も似たような表現が繰り返されたり、「こういう人はこうすれば治る!」というような具体的なハックをまとめた本ではありませんので、一読目はがっかりするかもしれません。

でも、一読目ではっと何かに気づいたならば、精神的に苦しい作業になりますが、過去を振り返り自分が無くしたいと無意識に思っていることを掘り返してみてください。自己否定、自己蔑視に至った経緯を探ってみてください。それだけでもずいぶん不安が解消されることに気づくと思います。


自己蔑視が神経症的自尊心を生み、その結果が完全主義へとつながっていく。自己蔑視をしている人は、楽観的な人の前でも、自分の弱点が現れることを恐れる。陽気な人は、自分の弱点にとらわれていない。弱点にとらわれていない人は、同時に過去のどうすることもできないことにもとらわれていない。つまり、気にしていない。(文庫版78ページ)

自分の人生をつらくしているのは、実際の自分が持っている弱点ではなく、実際の自分の弱点についての自分の感じ方であるということがわかるであろう。(文庫版79ページ)

 自分の過去と、自分の心の底にある実際の感情に直面できれば解決するのに、それを逃げて解決しようとするから、つらいだけの人生になるのである。(文庫版92ページ)

再読して気づきを発見したときには、またまとめて見たいと思います。

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