2013年10月19日土曜日

0586 「何もしていない」という罪悪感が浮かぶとき


2013年6月に仕事を辞めてかれこれ3ヶ月以上が経過しました。
辞めてどうしたいかはこちらのエントリにまとめてありますが、ぼちぼちそのとおりのことをしています。
でも、好きなこと、やりたいことをやっているのになんとなく罪悪感があったのです。なんだろう?と考えてみると、「仕事を辞めて何もしていない」ことでした。何もしていないというのは、なにか別の仕事をして稼ぐということ。人間は働いて稼がないと悪、ダメ人間というような思い込み(世間の常識?)に支配されていました。

やりたいことはたくさんあり、実際やっていて毎日が忙しいんですが、それと報酬が結びつかず世間体を気にしている自分がいました。結びつかないことをやることは明白だったんですけど、「働いていない」という状況が「世間の目」にどう映るか気にしていることに気づきました。世間体なんぞ気にする必要はないと頭で分かっていても、どこかで引っかかっていたのです。

そんなとき、こんな記事を目にしました。


私がGoogle社を辞めた理由 – 自分らしい人生を歩む為に | freshtrax | btrax スタッフブログ






報酬もいいし社員待遇もいい、同僚にも恵まれ、みんなが就職したがる会社というとってもうらやましく思える職場を、「自分のやりたいことをやる。自分の人生にとって本当に重要なことをやる」ために辞めた女性の話でした。
Google社員というとても優秀な人を参考にするのもどうかなぁと思ったのですが、根本のところというか人間の本質というのでしょうか、そこは万人に共通だと思い、ここは図々しく自分の例と当てはめてみました。

彼女は仕事をしていくうちにどんどん「なんか違う」という得体の知れない違和感に包まれていきますが、忙しさと仕事の達成感に意識的あるいは無意識に自分をごまかしてしまいます。
でも、ある日とうとう「このままじゃいけない」と気づきます。「それは本当に自分の求める人生か?」と自問し辞める決意をするけれど、具体的アクションを起こさずにずるずると引きずられるように現状にとどまります。
ここのところが、もの書き写真堂が「3年以内に辞める!」と言いつつも、いつ辞めるのか、どう行動するのかを決められなかったことと重なりました。

サイトには具体的に期日は書いていませんが、彼女も辞めると決めるまでにずいぶん時間がかかったそうです。一番の理由は、今の地位や給料、同僚・上司を失うのが想像できなかったから。経済的基盤を失うということが怖いというのは、食べていけなくなる、大げさにいえば生存を脅かされるという人間の本能の部分に関わることだからだでしょう。待遇に不満がなければ辞める決心はなかなかつかないものです。

でも、彼女はもっと本質的な理由があることに気づきます。

  • 自分が今の仕事を辞めたくないと思う一番の理由は「まわりの目」、つまりそこに勤めているという「ステータス」を失いたくないということ。
  • すぐに辞められなかったのは、「失敗したらどうしよう?まわりからどう見られる?」というくだらないプライドにがんじがらめになり、目に見えないプレッシャーを自分に与えていた。

「まわりの目」、世間体ですね。自分がどう思うかではなく、他人からどう見えるか?それを気にしていたのだと言います。
もの書き写真堂も「辞めます」と上司に伝えようと思った時、「ここで辞めたらあの意地の悪い後輩がどういうふうに思うだろう?」と気にして、「こいつが異動でいなくなってから辞めよう」などと他人のせいにして辞めることを先送りしていました。


「この仕事は自分の人生にとってもっとも重要なことなのか?」と思えないならば、会社が提供してくれる報酬、福利厚生などを受け取るのは間違っている。


これはとても共感できるところでした。Google社と違って、もの書き写真堂のいた職場は効率よくこなせるかどうかの技量は問われますが、きちんとやれば誰でもできるような仕事でした。報酬は高くはないけど、地方ではそれなりにステイタスもあり長いこと勤められる場所でした。
でも、何度か病気をするたびに「果たして1日の半分以上をかけるほど、人生においてもっとも重要なのか?」という疑問がわき、「自分じゃなくてもできる仕事なら他の人に席を譲ろう」と思ったのがきっかけでした。もっとも最後に背中をどーんと押したのは、人生の最期をほのめかすような経験をしたことですけどね。

さて、元Googleの彼女は自分の人生に対して真摯に向き合う時間が無かったことを反省し、4週間の休みを取ってほとんどを自宅で過ごし好きなことをします。パンを焼いたり、本を読んだり、普通のことをしますが、結論は出ません。

そんなとき、アーティストの友達連中に誘われてキャンプに行きます。そこで「どんな仕事をしているの?楽しい?」という何気ない質問に答えているうちに、「その答えは自分の本当の気持ちじゃない」とはっきりと認識します。
その後のキャンプ場の情景と心情の描写が見事でしたので、引用したいと思います。

その会話の直後、私はキャンプファイヤーを離れ、しばらく夜空に輝く星を見つめていました。月が今までに無いぐらいに大きく見え、遠くからかすかに聞こえる音楽以外、自分を囲むものが全く何もない状態に本当の意味での自由を感じる事が出来たのです。その瞬間、自分の人生は自分で決めるべきだと気づいたのです。何をするにも自分次第。他の人にどう思われるかなんて気にする事は止めようと思いました。料理をしたければすれば良い。文章を書きたければ書けばよい。会社を始める事だって自由。何もしないのもアリ。大きく失敗する自由だってある。 
全く何も無い場所で、”無”と”静” の状態に自分を置く事で、本来の自分が見えてきたのです。そして今まで避けて通ってきた本来の自分を知る事が出来ました。

この文章を読んだとき、グッときたと言うより、のどの奥になにか塊がつかえるような感覚を覚えました。あの泣きたいのを堪えるときのような感覚です。
なんだろう?と思った瞬間、これは「それでいいんだよ」と言われたのだと思いました。「仕事に就いてなくてもいいじゃない。自分のやりたことをやればいい。他人の目や世間体なんて気にする必要なんかない」と。初めて同意者を得たのだと感じたためでした。

さて、彼女は休暇が終わると同時に「やりたいことを自由にやる」ために辞表を出し、Googleを去ります。そして、それから半年後の気持ちも書かれていました。


自分らしい素敵な毎日を送っています・・・なんて答えられれば良いけど、現実的には正直不安もあります。貯金も減っていくし、今後どうなるか分からないし。何も手に付かない日だってある。でも、それ以上に重要な事は、人生で初めて自分らしくいられているという実感。(中略)今はゆっくり自分自身の正直な声に耳を傾ける事が可能になりました。


「貯金も減っていくし、今後どうなるかわからない」というところは同感です。それでも自分らしく生きられるということに満足している彼女。もの書き写真堂は元来の心配性がたたってまだ不安のほうが大きいですが、確かに自分らしく生きている感はあります。辞めて後悔はしていないです。


もし可能だったら私がキャンプに行った時の様に少し時間を掛けてじっくりと自分自身の声に耳を傾けてみて下さい。そして自分が人生で本当にやりたい事をみつけてみて下さい。周りからの評価は気にせずに。 
自分が本当に求める人生を送るには自分自身がアクションを起こすしか無いのです。自分で考え後悔の無い決断を下す。それは、同僚も友達も、両親でさえも出来る事ではありません。全ては自分次第なのです。


「自分からアクションを起こす」「周りからの評価は気にしない」「すべては自分次第」。自分の人生を後悔しないようやりたいことをやるには、主体性をもって自分で決める、動くことが大事ということなんですね。たとえ失敗してもそれはそれ、次に行こう、くらいに考えられる楽観主義も多少必要かもしれませんが。

やはり、まずは行動あるのみですね。動けばきっと変わります。もっとも、この言葉はある人の受け売りですが(笑)。


こんな本がおすすめです

これが始まりでした。人生を変えた1冊。
「ずっとやりたかったことを、やりなさい」ジュリア・キャメロン


悩んだり、明日が不安になったときに読んでいる本です。
「道は開ける」デール・カーネギー


元気が出る本。「動けば変わる」と言った人です。
「答」軌保博光(てんつくマン)


最初はホントに「とりあえず」考えましたが、あわや5年生存率的な病気の疑いがかかり、本気で取り組みました(汗)。
「とりあえず、5年」の生き方 諸富祥彦


心配性な人は運の悪い人になっている可能性があります(汗)。
これを読んで運を引き寄せましょう。というか、考え方を変える本ですね、これは。心配性が減るかも。
「運のいい人の法則」リチャード・ワイズマン博士



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