心理学ジャーナリストの佐々木正悟氏のブログにこんな記事があった。
「2011年3月11日の午後2時時点でのあなたのお悩みはなんでしたか?」
実際には、地震が起こるまでにすでに半日が過ぎています。それまでにも様々なことが起きており、いくつかのことは、地震が起こっていなければかなりの「重大事」だったはずです。良い意味でも悪い意味でも。
しかしいまやそれらのことは、良い意味でも悪い意味でも「どうでもいいようなこと」と価値判断されています。これは自然なことです。しかしこういう価値感覚の「ぶれ」が日常で頻発していることを私たちは忘れています。この記事が載ったのは2011年3月18日。それからずっと考えている。
つまり、大きな事象の前には自分の悩みなどちっぽけに見える、と言うことなのだろうか?
言われてみれば、自分の悩みってなんだったっけ?
ある程度のことは手帳に付けているのだが、なぜか3月11日だけ日中の記録がすっぽり抜けていた。
地震の直後の記憶では、自宅が近い友人に電話して揺れ具合を聞いた(大きく揺れるとストレスを起こす猫が家にいるので)ことは覚えている。そのあとも「なんだっけ?」と考え続けているうちに何となく思い出した。
だが、その後ほぼ日常生活が戻っているせいか、今までどおり悩み続けている。つまり、悩みが復活したのか? 地震直後は「どうでもいいと」思ったかもしれないが、今は「どうでもいいようなこと」ではなくなっている。これがいいのか悪いのかは解らない。
佐々木氏はこう締めくくっている。
3月11日の午後14時30分まであなたを悩ませていた「重大事」はなんでしたか? それはいま、どうなっていますか?
これに対する自分の答えは、「悩み、復活しました」。これを聞いたら佐々木氏は、ふっと静かに笑顔を浮かべるだけだろうなぁ(汗)。
追記1
この記事を書いた後、あるセミナーで佐々木氏にお会いする機会があった。
「悩み復活しました。これってどうなんでしょ?」とたずねたところ、想像と違い(笑)、「それが普通です」と速攻で答えが返ってきた。悩みが復活したことに悩んでいたのに、悩まなくてよかったのか・・・。
追記2
ツイッターで、3月11日14時46分前後の自分の発言を拾ってくれる「地震前後ツイート」が紹介されていたのでやってみた。もっとも、自分は昼間にツイッターができないので(朝と晩だけ)、ずいぶん「前後」の時間に空きがあるが、そのとき何を考えていたかがわかった。まあ、しょーもないことしかツイートしてなかったんだが(汗)。
この日、何に悩んでいたか、何を考えていたかを思い出すのに試してみては?自分だけではなく、他の人も検索できまし。
(初出:2011/04/05)
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