2013年4月3日水曜日

433 猫と生きることについて思ったこと


先日、猫が突然倒れた。そのまま逝くんじゃなかろうかと気が動転した。
とりあえず自力で立ち上がったので、こちらも落ち着いて対処できたが、猫についての「覚悟」が足りないと自覚した。ずっと一緒にいられると勘違いしていたことに気づいたのだ。

先日の大病で自分に関する「覚悟」はそれなりにできた。あとは万が一、猫より先に逝った場合の対処法も遺言書に書き記すことで解決できそうだ。

だが、猫が先に逝った場合の「覚悟」ができてなかった。
歳の順番からいったら猫が先。万が一のときにうろたえずに悔いのない対処ができるか?面倒をみられるか?

ペットロスという言葉も頭をよぎる。だが、人間よりも当事者の猫が最後まで安寧に過ごせるか?飼い主が後悔しないための対処が、猫にとって苦痛なら本末転倒なのだ。

言葉が通じないうえ、猫は我慢強いから多少の痛みには耐えてしまい、飼い主にもわからないことが多いとも聞く。
どうしたらお互い(猫と飼い主)が悔いなく過ごせるだろうか?もっとも猫が「悔いが残ったなぁ」とは言ってくれないが、「だっこして〜」「かまって〜」「こっちにきて〜」「お高めのねこ缶のほうがいい〜」(安いのは食べないので、これは解る!)くらいなら、何年か一緒に過ごせばわかるようになる(1匹については10年かかりました…)。これを無視しないこと。

猫は歳を取るにつれ、寝ている時間のほうが長くなる。ヘタをすると1日の3分の2は寝ているんじゃなかろうか?
とすると、猫が起きている時間など限られてくる。さらにその短い時間のいくらかを共有することでそれができるんじゃなかろうか?

自分の夢が「ねことまったり過ごすこと」、それを縮めた「ねこまたり」というのをブログタイトルに掲げているのだ。やらないでどうする。

平均的な室内外の猫の寿命は16年くらい。うまく生きれば20年とも聞く。今年11歳だから短ければあと5年。これからもう少し長くお猫様優先で過ごそうと思う。まずは猫が起きている時間帯のルーチンタスクをいじることにしよう。


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