2013年1月13日日曜日

0377 悶々と過ごした年末年始、人生を取り戻した1月11日

(写真説明)おみくじ
何から書いていいのか、今でも少し迷っています。書き出してもとりとめのないものになりそうなので。

昨年12月に入院した一件を書きましたが、実は後日談があり、年末に詳しい術後の検査結果を担当医から聞きました。それが予期せぬ結果であり、年が明けたら再検査しましょうということになりました。
青天の霹靂とはこのことを言うのだな、と、ぼーっと思ったのを覚えています。
しかし、長期間悶々と過ごすのもイヤでしたので、一番早い日時で検査予約を入れてもらったところ、お正月休み明け早々の1月7日から11日の間にCT、胃カメラ、PET、大腸カメラの検査を受けることになりました。

それにしても、なぜに年末年始に?と思いましたねぇ。
もう、人生最悪の正月。
投げやりにはなりませんでしたが、料理の準備も大掃除も手抜き。もっとも術後で無理できずに当初から手抜きにする予定だったのですが。

覚悟しました。遺言書作成に手を付けていてよかったとも思いました。
でも、万が一の飼い猫の行き場についてはまったく白紙状態。1件当てがあったのですが、長距離輸送となるうえに預託施設には他にも猫がたくさん。これでは早死にさせに送るようなものだと判断して断念しました。

また猫のことばかりですが、自分については過去に1度、がんの疑いがかかって覚悟をしたことがあるのでそれほど取り乱しはしませんでした(このときの結果はシロ)。もちろん平静ではいられませんでしたが。
今回の12月の入院でも小さな覚悟をしたので、この年末で3度目の覚悟となりました。
そんななかで年次レビューやら、2013年へ渡すバトンのことなどを考えました。



また、バイブルである「道は開ける」に、がんなどの病気になった人たちがいかに戦って勝ったかが書かれており、とても心強かったです。気持ちの問題もあるのだということもわかりました。
笑っていること。笑ったからと言って治るとは思っていませんが、とにかく笑って過ごした、という記述には特に勇気をもらいました。
沈んでいては死神を引き寄せるようなもの。もし、悪い結果が出たとしても明るく過ごしていれば好転もあるかもしれません。病は気からとも言うし。そんな考えで気持ちを奮い立たせていました。
とにかく冗談を言ったり、笑ったりして過ごしました。

こんな状態では健康かも知れない胃がやられていても不思議じゃないなぁと思ったのですが、この1月の胃カメラの検査では胃炎ひとつなく健康でした。
逆に考えるとこれはすごいかもしれません。というのも以前、職場のストレスでよく胃潰瘍になっていたからです。今回の術後の結果などもこれに等しいくらいのストレスのはずなのに胃が全く問題ないということは、ストレスを回避できたのかもしれません。だとすれば我ながらすごいと思いました。

すべての検査が終了した1月11日、担当医から説明があり、結果はクリアという判定になりました。一連の検査の要因となったものの出所は不明でしたので、完全にシロというわけではないのですが、年単位で当面は大丈夫のようです。
でも、このときにはあまり実感がなく、ただ再入院はなくなったんだなぁ、猫の面倒を見られるなぁと、ほっとしただけでした。

病院から帰宅する道すがら、街なかの景色がとても色が付いているように見えました。細かいところまで彩色しているような感じでした。術後の結果を聞かされてから検査終了までの年末年始は、あまり周囲の色を感じていなかったです。振り返るとモノクロの写真を見ているようにしか思い出さないのです。
気持ちの持ちようで、こんなにも世の中の見方が変わるのかと驚きました。
とりあえず「無罪放免」となった今、このとき感じたことを覚えていようと思いました。

また、年末年始の悶々としている間にいろんなことを考えました。
最悪の場合、どうするか。いろいろ処分するものだとか、猫のこととか、これからの生き方とか。
一番に思ったのは、もっと真摯に生きようということでした。具体的に言うと、
  • 自分の感情に正直に、自分を批判せず、欠点も受け入れて、長所をもっと見ていこう。
  • 自分を好きになろう。
  • 自分メインで生きよう。
  • 好きなことをやろう。
  • 他人の意見・思惑・批判に動じず、自分の意見・主義を持ち、他人を気にせず生きよう。
  • 取り越し苦労はやめる。「他人にこう言ったら攻撃されるのでは」というのを一番にやめる。
  • ネガティブでない限り、自分の主張を堂々とする。

今、とりあえず人生(余命)を取り戻した感がありますが、それでも時間は有限。必ず終わりが来ます。だから、やること・やらないこと、やりたいこと・やりたくないことをはっきりさせようと。
そして、こういう気持ちは時間とともに忘れるため、繰り返し目につくような仕組みをつくろうと思います。
まずは1月11日を「生還記念日」にして、毎年思い出すようにしようと思います。

そういえば、悶々としているときに、ちょっと強気になったというか開き直った時期があって、「どのみち短命なら言いたいこと、やりたいことやって死のう。誰にも遠慮しない!・・・ということは、私、今が最強かも?」と思いました。
いや、今だからこそ、ここまで強気で押したほうが健康に、そして開運につながるかもしれません。
「私、最強!」
なんかいいかも。



「がんのひみつ」という本を書いた中川恵一先生という方が、新聞の連載だったと思いますが「自分が死ぬならがんがいい。死ぬための準備ができるから」と言っていたのを思いだしました。交通事故などでいきなり死んだら、パソコンに入っているヤバイものを消せないから、と話が続いたと記憶しています。

同じようなことを、アメリカのドラマの主人公ですが「CSI科学捜査班」というドラマで、グリッソムさんという科学者が「死ぬならがんがいい」と言っていたのを覚えています。何話目の話か失念しましたが、ドラマの終わり部分でそうつぶやいていたので特に記憶に残っています。理由は中川先生と同じ、死ぬための準備ができるからでした。

確かに交通事故や脳疾患、心臓病で突然死ぬほうが未練が残りそうです。
近づく死の恐怖を実感しなければならないということはありますが、がんのほうが準備ができます。あとはどれだけ精神力を維持できるかが問われるところです。

とりともめもなく記述してきましたが、今回は人生で最大の「結果オーライ」になったと思います。
まずは生きていることに感謝。今日を大切に生きよう。時間は一番大事なリソースであるという考えには変わりがありません。でも、その時間の密度のとらえ方が変わった気がします。

さて、また仕切り直して人生を楽しもう!!

(追記)
今考えると、術後の検査結果が重篤だったら退院させずに検査続行だったと思います。10日も後になって「検査してみましょう」などと悠長なことは言わないはずだろうなぁと、今更ながら思い至りました。絶食したり、検査そのものが辛かったり(大腸カメラ!)したけど、しっかり検査ができて生き延びられたことに感謝!

0 件のコメント:

コメントを投稿