2012年12月29日土曜日

360 「あきらめない」ということ。


先日の入院で強く感じたこと。
例え重篤な病気であっても、あきらめないということ。
そして、そういう人たちが例外なく明るいということ。前向きで、今日を楽しんでいることだった。

皆、自分の病状を把握していた。いつから本人への告知を行うようになったか不明だが、悪性腫瘍などは本人に病状を隠しての治療が困難になっていることもあるだろう。もの書き写真堂が親族で体験した二十数年前の医療と違い、患者に治療の選択権もある。



こんな人がいた。
腫瘍がリンパに転移していなかったので、再発の可能性は遙かに小さいがゼロではない。万が一のために医者から抗がん剤の治療を勧められた。
だが、周りの患者から治療について情報を集めていたその人は、治療のつらさ(吐き気、髪が抜けるなど)から拒否した。
ところが、それを聞いた旦那さんがその人の友人たちに手を回し、説得してくれるよう頼んだそうだ。
「いやぁ、外堀を埋められちゃって。あっはっはー」
と、あっけらかんと笑いながら治療を受けていた。

左隣にいた年配の女性は今度は2度目の入院で、前回の抗がん剤治療で通常の副作用の他に、全身の皮膚に大きなこぶ状のものがたくさんできてどうなるかと思ったそう。
「それでも(生きること、治るんだという思いを)あきらめなかったんですよね?」と聞いたら、ものすごく力強い声で「そうですとも!」と返事が返ってきた。

この方は退院してから何気なくシャンプーをしているときに、髪の毛がごっそり抜けて悲鳴を上げたのだそう。病院では抜けなかった(抗がん剤の治療をしてもあまり抜けない人もいるとのこと)のに、帰宅しておびただしい量の髪の毛が一気に抜けて気が動転した。
ご主人がすぐさま飛んできて、この方の頭をなでながら「一緒にがんばろ」と言ったそう。このやさしい一言が生きるエネルギーになっていると思った。

何度目かの抗がん剤治療の後、今回が最後になるという人がいた。
先生が来ると、いつも「もう働いていいですか?」と聞いていた。金銭的なこともあるが、とにかく働きたいのだという。
この方も年配だったが、健康な時はさぞや活動的なのだろうと思われる体型と明るい性格で、他の患者から「オーラを分けて〜」と良く言われていた。前向きで、生きることを常に考えている感じがした。何度か会話をしたが、くよくよ考えたり、死ぬ可能性など意識の遥か彼方にいっているようだった。

この人が退院するとき、「ここ(病棟)には絶対戻ってこないの。もちろん外来には来るけどね」「それじゃ!」と颯爽と病室を出て行った姿に、病室からは「かっこいいー」「あやかりたい」という声があがったほど。
もの書き写真堂もかくありたいなぁと思ったひとりだった。

病室だけでなく、お風呂や洗面所などでわずかな会話を交わした人であっても、「あきらめない」という強い意志を持っている人はそれとわかる。普通の会話であっても、話し声に強さがあるのだ。

「あきらめない」「明るく過ごす」「前向きに考える」。
これらが生き抜く糧となるのではと強く思った入院だった。
さらにもうひとつ加えるならば、待っていてくれる家族、励ましてくれる家族がいること。これらがないと薬だけでは治らないんだなぁと思った。
もの書き写真堂も「猫を置いて先に死ねん!」という思いが原動力だったし(汗)。

さて、今日を楽しみましょうか。


0 件のコメント:

コメントを投稿