2015年4月13日月曜日

1063 引っ越しと、猫と、「悟り」ということ


みなさんは生まれてからこれまでに何回引っ越ししましたか?

当方、15回です。そして今回、諸般の事情で16回目となる引っ越しをしました。
そこで気づいたことをつらつらと挙げてみたいと思います。


まず、荷物。

持ち家に住んでいたためもう引っ越すことはないと思っていたせいで、良く言われるように部屋の広さの分だけ荷物が増えました。引っ越す先もそれなりの広さでないと収まり切らないだろうという感じでした。
加えて、ずいぶん前にものすごい量のガラクタを捨てたのにまだ出てきたのです。そこで今後しばらくガラクタ整理をしないためにも「2年以上使わなかったものは今後も使わない」を基準に容赦なく捨てました。

着ない服、ためこんだ空き瓶、使わない機器など、梱包していくなかでいろんなものが出てきて捨てました。
大量処分したはずなのに、「いつか使うかも」「これは便利だからとっておこう」という結果が目の前にありました。
しかも引っ越先で開梱している際にもクリーニング屋さんから帰ってきた服に付いていたプラスチックハンガーを20本も捨てたり、新たに出てきた着ない服を捨てたり・・・。

過去エントリにも書きましたが、引っ越しはガラクタを捨てる良いきっかけになりますね。
でも、「とりあえず引っ越し先に全部持って行っちゃえ」とやった友人もおりますので、ここは自覚と覚悟が必要かと。

もうひとり、近所のご主人で単身赴任先から戻る際に何もかも持って帰ってきて、奥さんから「この人ったらゴミまで梱包して持ってきたんだから」と文句を言われている人がいました。
おそらく自分で選択して処分したら奥さんに「あんた、なんで捨ててきたの!」と怒られるよりマシだと考えたのかもしれないなぁと推察しました。いずれにせよこのお宅は新たにガラクタ整理の決意をしなければいけませんね。

話がそれました。

さて、うちのお猫様2匹ですが、今の家で子猫時代に引き取りました。家を変わったことはありません。
猫を連れての引っ越しも飼い主としては初めての体験。しかも知り合いからは10歳を超えて引っ越しすると良くないとか、「猫は家に付く」と昔から言われていることでもありますのでいろいろ心配でした。

かかりつけの獣医さんからは「引っ越しするのがやむを得ないなら、猫に新居に慣れてもらうしかない。スキンシップを怠らないように」とのアドバイスのみで途方に暮れました。
でも、先生としても怪我や病気じゃないのでどうにもならないですよね。
余談ですが、近い将来、動物のメンタルクリニックができるんじゃないかなぁと思ったり・・・。

ものの本によると、完全室内飼いの猫は大人になることはなく、飼い主を母猫と思ってずっと子猫のままであるから「家に付く」のではなく「飼い主に付く」。つまり、引っ越ししても問題ない、とありました。

確かに我が家のよく病気をする雄のお騒がせ猫は甘えたなので、まさに「でっかい子猫」です。飼い主に付いてます。実際に新居を一回りしたらそれほど違和感はなく生活しているように見えました。

ただ、もう1匹の雌猫は大人なところがあるので子猫のままとはいかないかもと思いつつ、それでも昔から度胸があり、犬がわおんわおんと大泣きする動物病院でも動じない性格だったのであまり心配していませんでした。

ところが、引っ越し当日、新居に着いてもしばらくケージから出ようとしませんでした。ちなみに雄猫はさっさと出て、新しい陣地を探検に行きました。
その後、雌猫はいつもよりご飯を多く食べてはいましたが(後から思い返すと、ものすごい勢いで不必要にがつがつ食べている感じでした)、ちゃんとトイレもするし、眠りもしているので大丈夫だろうと思っていました。

しかし、4,5日経過してから、締め切ったドア(トイレ、押し入れ、クローゼットなど)の前で大声で鳴いて訴えるようになりました。いままでこんな行動はしたことがありません。
「開けてくれ」と言っているようでしたので開けてやると(さすがに玄関は開けませんでしたが)、その中を探検しては「ここじゃない」というように何かを探しながら鳴き続けました。

おそらく扉の向こうに今までの家があるのだと思っているかのようでした。だから扉を開けても探し続け、壁をひっかいてその向こうへ行こうとしました。
普段、何を訴えているか分からないときもあるのに、このときばかりは心情を理解して不憫に思いました。この子は家に付いていると。探し回る姿を見ていると切なくなりました。

飼い主である人間にとっても理不尽な引っ越しでしたので、この猫の姿を見て、その理不尽に対する怒りはさらに強くなりました。人間なら何が起きたか理解できますが、猫にとってはいきなり大勢の人(引っ越し屋さん)が来てごたごたとやりはじめ、自分はケージに入れられて知らないところに放り込まれる。
人間に例えると、言葉の通じない外国で何の説明もないまま住む場所を強制的に変えられることに近いものがあるのではないでしょうか。そう考えると、不安や恐怖はいかようなものか。

もう慣れてもらうしかなくて、少しでも以前と近い部屋のレイアウトにしたり、飼い主がなるべく外出しないようにしたりなどの工夫をしたところ、上記のような「問題行動」は格段に減りました。
他に出来ることといえば、獣医さんが言ったようにスキンシップを図ること。ちょうど換毛の季節ですから良いタイミングだと思います。あとは病気になったり寿命が縮まることのないように毎日チェックすることでしょうか。

さて、引っ越しで「悟り」を開いたという点ですが、終の棲家だと思って購入したマンションでしたので作り付け家具などのめったやたらと動かせないものや、大事なものが増えていきました。その作り付け家具も今回の引っ越し時に外さねばならない事態となりました。

しかし、家具を作ったときに製作業者から「家自体、地震などですこしずつゆがんでいてそれに追随する形で家具もゆがんでいます。ですから付け外しは原則できません」と言われていました。外しても元に戻るかどうかわかりませんでした。
それでも外さないと話が進まないことになり取り外したのですが、その際、いろんな部品や表面の化粧板が折れたりはがれたりしました。それを目の当たりにして、自分のなかでも何かがパキッと折れました。

それは以前、大病したときにも悟っていたことですが、物に執着してもダメだということでした。パキッと折れたのは心ではなく、「物に執着していた気持ちや念」という「鎖」がちぎれた音だったんじゃないかと思います。
それまで、この作り付け家具をどうしようか、他の物はどうするのかなどに延々と長い時間悩んでいたのがバカらしく思えるほど、あっけなく執着が抜けていきました。

かわりに思ったのが「これで何の憂いもなく、思い立ったときにどこにでも身一つで行ける!」ということでした。家具どころか持ち家すらも処分して行けると。
今はお猫様がおりますのでそう物事は簡単ではないのですが、猫はちょっと脇によけての話です。

そして、もうひとつ。
旅の思い出の品やらオールドMacやらを飾っていたのですが、それらは今、梱包されたまま納戸に眠っています。飾っていた空間はぽっかり空いていますが、それでも何の不自由も違和感もありませんでした。おそらく今なら捨てても問題ないのかもしれません。

なんだかんだとHDD5本に入れているデータですら、理論的にはクラウド上においておけばどこにいても取り出せる時代です。個人的にはMacBook AirとiPhoneさえあればなんとかなります。そう考えると物はそれほど必要ではないのかもしれないなぁと改めて感じた引っ越しでした。

ミニマムライフ。
そんな言葉が浮かびましたが、まだいろんなものが残ってはいるものの、これからも少しずつ捨てていくのだなぁということだけは実感している今日この頃です。

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