過去と未来に囚われたと分かったらその時点ですぐ今に戻る。これを繰り返していくしかない。囚われている時間を短くしていく。
子供の時は過去や未来に囚われずに過ごしていたという、とある本の指摘になるほどそうだったと思った。大人になるとどうして過去を悔やんで未来を必要以上に心配するんだろう?
「今を生きる」ということを意識しているせいか、ネットでもそのような発言を多く目にするようになりました。もっとも、そう意識しているからいつもよりそのキーワードを脳が検出するようになるせいだとも言われますが。
「とある本」というのはカレンの「ガラクタ捨てれば自分が見える」です。その中にあった一節なのですが、今、開梱していない引っ越し荷物のどこかに本が埋もれて確認できませんでした。
以前に何度も紹介していますカーネギー「道は開ける」には最初の章で今を生きることの大切さを説いています。
瞑想のひとつの方法に「今ここ」を意識して雑念を払うというのを何かで読んだことがあるのですが、瞑想にしても普段の生活にしても過去を悔やんだり、将来を心配したりと次々とわき起こる雑念を払うのは苦労しますね。
過去や未来を考え始めたらそれに気づき、すぐ中断して今に戻るという「思考の癖」を付けないとうまくいかないと感じます。
今を生きる、今日1日の区切りで生きるというのが自分の生きるテーマなので、「イノセントブルー」の話はグッときた。前世とかの設定に拒絶反応を示す人もいるだろうけど、これ、現世でも過去に囚われずに生きろってことを言ってるんだと思う。それを端的に表すために前世という設定を使ったのじゃないかと。「今」の次の瞬間から始まる未来は定まっていない(今それを選択するということが運命づけられているという運命論はここでは置いておく。無限ループになるので)から、自分の意思でこれからのことは選択できる。それ次第で未来は開ける、変わるということ。あきらめたらそこで終わり。年齢関係なし。死ぬまでできる。やるべ。
これは「本屋で探検」のエントリでも触れた神永学氏の本ですが、その手のビジネス書を読むよりガンッと響くものがありました。自分と波長が合えば小説のほうが心に響く、記憶に残るんですよね。ですからいつまでも覚えていて、ふとした時に「あ、いかん。忘れてた」と思い出して軌道修正する。小説には娯楽だけでない要素があるのだということを認識した1冊でした。
ちなみに「やるべ」は北海道弁なんですが、他の地方にもあるみたいですね。
いつも自分から動くと失敗するという現象について考えてみた。まず、「失敗したものしか強く記憶に残ってない」ということがありそう。やって上手くいったこともある。
次に、やることは間違ってないがやり方が間違っている。考えすぎて機を逃したり、軌道修正をかけない、勢いで始める、焦って始める、なと。
さらに、失敗の反省をしない、反省しても踏まえない。あとは思い込み、変な正義感に駆られる(私がしなきゃとプライベートを犠牲にするなど)。
ダメダメですね。「わかっちゃいるけど」のパターン。
「言い出しっぺになるとなぜかそのイベントがコケる」というのを何度も体験しているのは事実。考え過ぎもダメですが、よく言われるように「7割考えたら走り出して、走りながら考えて軌道修正してゴールを目指す」というのがうまく実行に移せるといいのですが。これも場数をこなすしかなさそうです。
以上です。
(余談)
好みにもよりますが、カーネギーの「道は開ける」は新訳より新装版(こちらが先に出版されている)のほうが万人向けだと思います。
さらに、「人を動かす」「カーネギー名言集」と3冊セットになった文庫版は手軽にさっと開けるのでオススメです。先日、猫がこの文庫本にねこ草を吐いて後ろの表紙から数ページを破いて捨てたので買い換えようかなぁと思ってます。本文は無事なのでそのまま使えるのですけど・・・。
以上です。
(余談)
好みにもよりますが、カーネギーの「道は開ける」は新訳より新装版(こちらが先に出版されている)のほうが万人向けだと思います。
さらに、「人を動かす」「カーネギー名言集」と3冊セットになった文庫版は手軽にさっと開けるのでオススメです。先日、猫がこの文庫本にねこ草を吐いて後ろの表紙から数ページを破いて捨てたので買い換えようかなぁと思ってます。本文は無事なのでそのまま使えるのですけど・・・。
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